平成23年9月の紀伊半島豪雨から15年になるのを前に、奈良県十津川村で20日、明治以来の水害犠牲者の慰霊祭が営まれた。玉置広之村長は「災害に屈することなく、脈々と受け継がれてきた不撓(ふとう)不屈の精神で、村民が誇りに思える村を築き上げたい」と述べた。
慰霊碑と墓誌に刻まれた犠牲者
村内の21世紀の森・紀伊半島森林植物公園には、明治22年の大水害で犠牲となった168人の名前を刻んだ水害慰霊碑と、昭和28年以降の水害犠牲者36人の名を刻んだ墓誌がある。墓誌には、紀伊半島豪雨で死亡した7人と行方不明の6人も含まれる。
約70人が参列し白菊を手向ける
慰霊祭の会場となった村住民ホールの壇上には、水害慰霊碑の原寸大レプリカが設けられた。明治22年の水害の後、約2600人の村民が新天地を求めて移住した北海道新十津川町の谷口秀樹町長をはじめ、紀伊半島豪雨などの犠牲者の遺族や消防団、自治会の関係者ら約70人が参列。黙禱(もくとう)した後、白菊を手向けた。
遺族の思い「記憶を教訓に」
紀伊半島豪雨で両親を亡くした葛城市の団体職員、森光春さん(63)は、妻のよし子さん(64)と参加。長殿地区の実家は土砂で押し流され、父の段造さん=当時(82)=と母の勝子さん=当時(79)=が犠牲となった。この日は、実家の跡から見つかった唯一の遺品の納経帳を持参した。
森さんは昨年秋から、母のライフワークだった四国霊場八十八カ所巡りを開始。巡礼を終え、今月上旬には納経帳を携えて和歌山県の高野山を参拝した。森さんは「両親を突然失った悲しみに区切りがつき、立ち直った気がする」とし、「災害はいつ起こるかわからないからこそ、過去を風化させないでほしい。記憶を教訓とすることが備えになるはず」と話した。



