ソ連軍の侵攻を逃れるため、引き揚げ者を乗せて北海道に向かっていた船3隻が潜水艦に攻撃された「三船殉難事件」から81年となった22日、留萌市で市民らによる追悼式が行われた。犠牲者の遺族らは、伝え聞いた悲劇を風化させまいと思いを新たにした。
事件から81年、海辺で祈り
事件は終戦直後の1945年8月22日に発生。引き揚げ者を乗せた船3隻(小笠原丸、第二新興丸、泰東丸)が留萌市沖でソ連の潜水艦に攻撃され、小笠原丸と泰東丸が沈没、第二新興丸が大破した。犠牲者は1708人に上るとされる。市営墓地には乗船者186人の遺骨が眠るが、名前が分かるのは35人のみだ。
遺族が新たに判明した事実
この日午後6時から留萌市の海沿いで始まった追悼式に参加した札幌市の会社員工藤真彦さん(66)の祖父、豊太郎さんはその35人のうちの1人。だが工藤さん一家がそれを知ったのは、この追悼式の前日だった。別の親族の遺骨について留萌市に問い合わせ、名簿から分かった。樺太で国鉄職員をしていた豊太郎さんは、第二新興丸で家族を送り届けた後、仕事で樺太に戻るはずだった。だが事件によって豊太郎さんを含めた家族9人が留萌市沖で帰らぬ人となった。
「風化させないことが一番」
工藤さんは「この事件は道内でも知っている人が少ない。風化させないことが一番。次は東京にいる子や孫も連れてきて事件のことを伝えたい」と語った。



