旧満州開拓団の集団自決から81年、追悼の集い 298人犠牲 91歳の生還者が語る
旧満州開拓団の集団自決から81年、追悼の集い

太平洋戦争中、現在の兵庫県豊岡市但東町から旧満州(現中国東北部)に入植した開拓団が集団自決に追い込まれてから81年となった17日、同町久畑の高橋地区コミュニティセンターで「殉難者追悼・平和祈念の集い」が営まれた。生還者や遺族、地元住民ら約60人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。

入植から集団自決まで

食料増産などのため、日本の傀儡国家だった「満州国」などへ全国から送り出された開拓団の一つ。但東町の旧高橋村からは1944年に約500人が移住した。終戦直前、ソ連軍が旧満州に侵攻したため、ハルビンへと逃れようとしたが、暴徒化した現地住民の襲撃を受けるなどし、入植地近くのホラン河で集団自決。298人が犠牲となった。

語り継ぐ会による集い

戦後、遺族会が中心となって慰霊祭を営んできたが、生存者が減少。遺族会は今年度、住民グループ「高橋村満州開拓団の歴史を語り継ぐ会」と統合され、慰霊祭も語り継ぐ会主催の集いとして開かれた。集いでは、黙とうに続き、元但東町長の奥田清喜会長が「この事実を知らず、あるいは忘れられようとしている今日、悲劇を語り継ぐことは私たちの責務だ」と強調。遺族会長を務め、今年6月に93歳で亡くなった山下幸雄さんの体験談を平和学習に取り入れた中学校教員らによる事例報告もあった。

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生還者の思い

集いには、集団自決で母親と姉、妹2人を亡くした岡村喜久枝さん(91)も参加。自身も川へ身を投じたが、気を失った状態で助けられ、終戦直前に徴兵された父親と引き揚げてきたといい、取材に「なぜ私だけが残されてたのかと思うこともあった」と語り、「あの日もいい天気だったことを思い出す。墓参りした時に『80年以上、長生きしましたよ』と報告しました」としのんでいた。

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