2025年9月、広島市の平和記念公園近くの喫茶店で、廉和善(リョムファソン)(77)と豊永恵三郎(90)が記者と対面した。その4カ月前、記者は豊永の講演を聞きに行き、廉と出会っていた。
平壌から届いた電話
席に着いて間もなく、廉の携帯電話が鳴った。朝鮮語で数分間話したあと、電話を切った。「平壌(ピョンヤン)からの電話です」と廉は説明した。相手は廉のおいで、在日朝鮮人の帰国事業で北朝鮮へ渡った亡き兄の息子だった。廉は翌月に平壌を訪れる予定だった。
決闘未遂から始まった授業
豊永はかつて教員をした広島電機大学付属高校(当時)で、生徒と朝鮮学校生の衝突を契機に朝鮮語(ハングル)の授業が始まった経緯を話した。1970年の決闘未遂事件がきっかけだった。
途中からマイクを渡された廉は、豊永のいた高校で朝鮮語を教えた日々、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)に渡り祖国の教員免許を取った経験を語った。
日本の教員免許に加え、北朝鮮の教員資格も持つ教員の半生を追ってきた連載の最終回となる。



