戦場で「カボチャの花が非常に美味しい」と記した祖父の日記、孫が冊子にまとめ発行
戦場でカボチャの花を「美味しい」と記した日記、孫が冊子に

「南瓜の花が非常に美味しい」――。太平洋戦争末期、「飢餓の島」と呼ばれたメレヨン島(現ミクロネシア連邦・ウォレアイ環礁)に出征した愛媛県八幡浜市出身の陸軍兵、松良佐太郎さん(1917~99年)は、戦地での渇望を日記につづった。孫で伊予市在住の岡田有利子さん(51)が9月、日記を冊子「メレヨン島戦中日記」にまとめて発行。生々しい記録を、次の世代へ伝えようとしている。

極度の飢えの中で書き残した記録

9月20日、伊予市の文化交流施設「ミュゼ灘屋」の多目的スペースで、小さな文字で埋め尽くされた日記が、スクリーンいっぱいに映し出された。岡田さんは当時の写真を交えながら祖父が極度の飢えの中で書き記した言葉を説明した。

メレヨン島に米軍の上陸はなかったが、日本からの補給は途絶えた。派遣された約6500人の多くが飢えや病気で命を落とし、生還者は約1600人だったとされる。

日々悪化する食糧事情

松良さんは1938年に陸軍に入り、44年4月、島に上陸。歩兵第333大隊に所属し、曹長として書記を務めた。日記は44年3月14日から45年3月31日までつづられている。

日記によると、食糧事情は日を追って悪化した。コメの配給は1日100グラムとされたが、腐敗したものもあり、実際に口にできたのは70グラムほど。1食あたり20~30グラムで、草木の葉や根、トカゲやネズミなども食べて飢えをしのいだという。

「カボチャの花」への思い

岡田さんの心に残るくだりがある。45年2月21日の記述で、カボチャの花について「起床と共に個人畑に咲く僅か十五、六個の花を摘むのが楽しみだ、せめてこんな花一日に百個も食べられると良いに」と記されていた。

岡田さんは、大学生だった95年、祖父から戦争体験を聞き、カセットテープに録音した。「本当にカボチャの花はうまかった」という祖父の言葉に、「カボチャの花がおいしいということが信じられなかった。そんなものまで食べる状況だったと分かった」と振り返る。日記は、この時、軍歴資料などと一緒に譲り受けた。

発行までの経緯と今後の予定

日記を世に出すことへの迷いもあったと打ち明ける。当時の祖父は曹長で、階級によって食糧の支給に差があったのではないかと懸念したからだ。ただ、今年4月、生還者の家族と初めて会い、「遺族も生還者の子孫も平和を願う気持ちは同じ」と思うようになり、決意が固まった。

昨年、資料の一部を県歴史文化博物館に寄贈。併せて、日記を読みやすい形に整え、祖父の命日に当たる今年9月10日に発行した。岡田さんは「日記は託されたのだと思う。祖父には、この日記を大事にして、次につなげますよと伝えたい」と話した。

A4判102ページ(税込み1650円)。11月3日午前10時から、伊予市米湊のIYO夢みらい館で「戦争記録を語る会」を開く。問い合わせは、岡田さん(090・5913・8716)へ。