胎児性水俣病患者の一人で、21日に71歳で亡くなった金子雄二さんの告別式が23日、熊本県水俣市の斎場で営まれた。遺族や水俣病の補償救済制度の拡充に関わる人たちが参列し、故人をしのんだ。
水俣病の教訓を伝え続けた生涯
金子さんは母親の胎盤を通じてメチル水銀に侵され、水俣病が公式確認される前年の1955年に生まれた。ほかの胎児性患者らと各地で水俣病の教訓を伝える活動を続けた。身体機能の衰えについては「加齢ではなく、水俣病の被害の影響だ」と主張し、65歳を過ぎても介護保険を使わなかった。近年は歴代の環境相とも面会し、障害福祉サービスの制度による訪問介護入浴を求めたが実現しなかった。
祭壇に飾られた遺影と弔辞
祭壇には、還暦を記念した白いタキシード姿の金子さんの遺影が飾られた。式では長年支援を続けてきた「きぼう・未来・水俣」の加藤タケ子さん(75)が弔辞を読み上げた。加藤さんは報道陣の取材に、「壮絶な苦難を背負う生き方を美しく締めた。訪問介護入浴の答えは出なかったけれど、行政を上回る連帯の声を届けてもらった。彼は(行政に)勝った」と語った。



