元治元(1864)年創業の「丸玉屋小勝煙火店」(東京都府中市)は、東京都内に2社しかない打ち上げ花火製造会社の一つだ。5代目の小勝康平さん(44)は花火玉作りから打ち上げまで一貫して手掛け、日本が世界に誇る大輪を各地に咲かせている。
花火師を志した原点
高校生の頃から4代目の父の手伝いを始め、18歳で初めて打ち上げの現場に同行した。真上に放たれた花火が、破裂音とともに視界を埋め尽くす。その美しさに目を奪われた。先輩たちから「仕事に集中しなさい」と叱られる。だが、どうしても見上げてしまう。花火師になると、心に決めた。
花火玉の中には、爆発を引き起こす「割薬」と、爆発後に光輝く「星」という2種類の小さな火薬がぎっしり詰め込まれている。特に難しいのが星を作る工程だ。回転する釜の中で火薬をまぶし、球を形作るが、1日に大きくなるのは最大で0.05ミリ程度。天日に当てて乾燥を繰り返し、何カ月もかけてビー玉ほどの大きさに育てていく。
隅田川花火大会への思い
イタリアで修業を積み、25歳で正式に家業へ加わった。均整のとれた大輪を生み出すには、全ての星を同じサイズの真球に仕上げなければならない。火薬の配合や乾燥がうまくいかず、ひび割れてしまうことが何度もあった。それでも、気づけば数週間が過ぎ、一回り成長した粒が目に留まる。何物にも代えがたい感慨があった。
日本最古の花火大会といわれる「隅田川花火大会」は特に思い入れのある行事だ。前身の「両国の川開き」は先の大戦で中断されていたが、先代たちが戦後、火薬を規制していた連合国軍総司令部(GHQ)を直接説得し、再開に至ったという。守り続けてきた江戸の花火を、下町らしくにぎやかに、そして安全に。どんなに美しくても、扱うものは火薬だ。建物が密集する都心の夜空に毎年約1万発を打ち上げるだけに、準備には細心の注意を払う。
海外でも広がる花火文化
どんな種類の花火を何発打ち上げるのか。プログラムの構成や演出を考えるのも仕事の一つだ。最近は音楽とシンクロさせた「ミュージック花火」も人気を集めている。曲を何十回も聴いて一発一発の点火のタイミングを決め、秒単位で専用のソフトに打ち込む。
海外にも日本の花火文化を広めている。英国、サウジアラビア、ブラジル、マレーシア…。シンガポールの年越しカウントダウンイベントでは、50万人を前に大規模な花火ショーを披露した。花火玉の中で完璧な同心円状に並んだ星たちは、異国の空でも一切の狂いなく大輪を描く。
本番中は空を見上げることも、観客の方を向くこともほとんどない。打ち上げ筒やパソコンに目を光らせ、淡々と進行を見守る。試行錯誤の末に生まれた光が、にじむように消えていく。緻密に計算された数秒間で、何を届けられたか。答えは観客の歓声にある。



