広島市内に4か所ある「原爆養護ホーム」は、被爆者だけが入所できる高齢者施設だ。最も古い1970年に建てられた舟入むつみ園(中区)では、約90人の被爆者が共同生活を送っている。入所者の平均年齢は約86歳で、全国の被爆者の平均年齢とほぼ同じだ。
「つらいことを忘れられる」と語る被爆者
天満川沿いに立つ鉄筋コンクリート造りの建物には、浴室や食堂、ホールなどが整備されている。書道や陶芸などのクラブ活動も盛んで、生け花クラブでは入所して約10年になる谷本岑子さん(93)が剣山に花を挿していた。「花を生けていると、つらいことを忘れられる」とほほ笑む。
谷本さんが「つらいこと」と話すのは、原爆のことだ。81年前の夏、12歳だった谷本さんは、廿日市市の女学校で「ピカッ、ドーン」という轟音を聞いた。広島市街地の方向にはきのこ雲が浮かんでいた。近くの高校に設けられた救護所で、同市から運ばれてきたけが人の治療を手伝い、手足のない遺体や、やけどで背中が赤くただれた赤ん坊の亡きがらも見たという。「自分が無事なことが申し訳なかった」。数日後、行方不明の親族を探しに同市内へ行き、入市被爆した。祖母や級友は命を落とした。
原爆とともに歩んだ人生
戦後に結婚した夫も被爆者で、がんで亡くなった。「原爆はいつまで私の人生を翻弄するのか」と絶望したが、一人娘を育てようと前を向き、日本舞踊の講師などの仕事に奔走。孫も2人できた。
80歳代の時にがんが見つかり、膵臓などを摘出した。「被爆者だから仕方ないと自分に言い聞かせたけど、やっぱり怖い」。2015年、娘に介護の面倒をかけたくないと、むつみ園に入所した。
むつみ園では充実した日々を過ごすが、「原爆」の文字をニュースで見ると食事がのどを通らず、8月6日が近づくと眠れなくなる。がんで亡くなる入所者もおり、「次は自分かも」と不安を感じることもある。
職員の寄り添いと入所待ちの現状
そんな時、支えてくれるのがむつみ園の職員たちだ。眠れない時は「大丈夫?」と声をかけてくれ、花見や節分など季節ごとの行事も企画してくれる。「一人の人間として大切にされていると感じる」と語る。
ほかの高齢者施設と異なり、原爆養護ホームの職員たちは研修で被爆者との接し方を学ぶ。長年被爆者医療に携わってきた医師で広島大名誉教授の鎌田七男さん(89)が作成したテキスト「広島のおばあちゃん」を使用する。ホームで生活する被爆者の「おばあちゃん」が原爆や放射線の恐ろしさなどを解説する構成で、被爆者が抱える心の傷についても記されている。
鎌田さんは01年に原爆養護ホームの運営団体「広島原爆被爆者援護事業団」の理事長に就任し、15年以上務めた。「被爆者が抱える苦しみに寄り添うのがホームの役割」と強調する。むつみ園の介護職員、黒崎知之さん(49)は鎌田さんから「被爆者の目線に立って苦しみに寄り添いなさい」と言われ続けてきた。「鎌田さんの教えは今も園に浸透している」と話す。
被爆者が高齢化する中、きめ細やかな対応をする原爆養護ホームへの入所希望者は多い。むつみ園でも約320人(7月時点)が入所待ちとなっている。



