高松市・大島の国立ハンセン病療養所「大島青松園」で暮らす野村宏さん(90)が、入所後初めて公に故郷・高知県土佐清水市を訪れ、講演を行った。中学卒業後に大島へ移って74年。今年5月9日の講演会場には、兄弟や中学の同級生ら約250人が集まり、野村さんを歓迎した。
「本当にうれしかった」初めての帰郷
野村さんは大島青松園の入所者自治会副会長を務め、現代アートの祭典「瀬戸内国際芸術祭」の会場として大島を開放し、作家や作品を通して強制隔離の実態を発信してきた。また、高松市が昨年設けた「大島を未来へつなぐ会」にも参加し、有識者らと島の将来像について議論している。
講演のため土佐清水市を訪れた際、会場には「思いがけない光景」が広がっていた。兄弟や同級生ら約250人が野村さんを歓迎したのだ。野村さんは大島青松園の入所者自治会が発行する冊子「青松」(7・8月号)で、「本当にうれしかった」「本当に良かった」「やっぱり、ふるさとはいいなぁと思いました」と心境を語っている。
講演で明かされた過去と裁判への参加
講演で野村さんは、大島で2歳下の女性と結婚し、子を授かったが堕胎を強要された経験を披露した。施設の一角に並ぶホルマリンの瓶の一つに我が子が入っていたといい、「部屋で泣くわけにはいかない。あの時のつらかったことを思い出してですね、私も原告として加入しました」と語った。
1996年に「らい予防法」が廃止された後、元患者らが国に賠償を求めて熊本地裁に提訴した訴訟では、野村さんも原告の一人として名を連ね、2001年の原告勝訴と国の控訴断念を見届けた。
講演を実現させた「後輩」たちの思い
野村さんの講演を企画したのは、市人権教育研究協議会の会長・浜岡篤さん(67)。十数年前にも講演を打診したが、断られたという。ハンセン病の患者と家族は長く差別と偏見にさらされてきたため、野村さんは故郷に残る親族に迷惑をかけることを恐れ、「当時はまだ、引き受ける勇気がありませんでした」と振り返る。浜岡さんも「どんな壁があろうとも、講演会をやりきる意志と、決意がなかった」と当時を振り返る。
講演後、浜岡さんが野村さんに送った礼状は「青松」に紹介された。礼状には「その壁を、取り除き、解放していただいたのは、紛れもなくひろしさんの、笑顔であり、優しさであり、気力あふれる姿でした」と記され、講演があった5月9日を「人権教育の原点として、未来につなげていかなければならないと改めて決意できた日」と強調した。
野村さんは「(誤った国策の)犠牲になったようなもんだけど、まあ、それはそれでいいじゃないかと思う」と語り、強制隔離の過去にとらわれ過ぎず、将来に何を残すかを考え、「同じ過ちを二度と繰り返さないようにしてくれれば、それで良い」と笑顔を見せる。今月2日に「青松」のページを開いて「感動しました」と伝えると、野村さんは「ほんま、ええやろぉ」とうれしそうに笑った。



