7月24日に公布された改正皇室典範は、10月24日に施行される。皇室史に詳しい宗教学者の島田裕巳氏は、改正を主導した自民党副総裁の麻生太郎氏の皇室観について、皮肉にも「愛子天皇待望論」に通じるものがあると指摘する。
学習院での先輩・後輩の関係
麻生氏と愛子内親王は、年齢が大きく離れているものの、ともに学習院で学んだ先輩と後輩の関係にある。学習院は近代に創設された学校で、華族の子弟を教育する目的があった。戦後も皇族はこぞって学習院で学び、愛子内親王も幼稚園から大学まで一貫して同校で学び、卒業した。
運命を変えた学習院への編入
麻生氏は1940年生まれで、戦前は華族ではなかった。麻生グループが作った麻生塾小学校に1947年に入学したが、母・和子が吉田茂元首相の三女だったことから、吉田氏が首相に再任されると一家で上京し、学習院初等科3年に編入した。この編入がその後の運命を変えたと島田氏はみる。
吉田茂の孫としての苦悩
麻生氏は2007年の学習院大学新聞社のインタビューで、編入直後に吉田首相が1951年に日米安全保障条約に署名した際、世論の猛烈な反感から「吉田茂の孫」として攻撃の対象になったと振り返っている。「けれど私は、なにくそ、という気持ちをずっと抱いて生きていたね」と語った。一方で、祖父に授業をそっちのけで遊びに連れ出された思い出もあり、動物園や落語の寄席に連れて行かれたという。
こうした経験は麻生氏のその後の皇室観に影響を与えたとみられ、島田氏はその皇室観が「愛子天皇」待望論と共通する点があると論じている。



