ハーバード大学の大学院を出たものの、日本の大学を出ていない蒲島郁夫氏は、政治学界に人脈がなかった。米国を離れる際、ある私立大学から声がかかったが、教授会での投票で3分の2の賛成を得られず不採用となった。奇妙な経歴が敬遠されたと想像する。
三宅一郎氏の推薦で筑波大講師に
窮地を救ったのは、ハーバードで知り合った政治学者の三宅一郎氏だった。同志社大学教授だった三宅氏は客員研究員として招かれ、同じ授業を聴講していた。蒲島氏は三宅氏が日本の政治学の大家だと知らず、授業後に議論を吹っ掛けていたという。当時のハーバード大客員研究員には、50年来の友となる五百旗頭真氏もいた。
三宅氏の強い推薦で、筑波大学の専任講師になることができた。熊本の知人や友人は、消息を絶っていた「落ちこぼれ」の蒲島氏が大学の先生になったことを信じられなかったという。
異色の経歴で東大教授に
助教授の肩書で地元紙に寄稿した際、新聞社に「新聞に書いている人は本当に熊本出身の蒲島さんですか。私の知っている人と違うごたる(違うようだ)」という電話が入った。その後、異色の経歴で東大法学部教授に就任し、「顔」として紹介された記事には「人生何があるかわからない」の見出しが付いた(読売新聞1997年4月15日朝刊)。