元内閣総理大臣の細川護煕さん(88)は、1993年に40年近く続いた自民党単独政権を終わらせた「立役者」として知られる。歴史の教科書に登場する細川さんは、いったいどんな10代を過ごしたのか。その半生を振り返る。
細川家18代目の幼少期
細川家は安土桃山時代の武将、細川幽斎(藤孝)から数えて18代目にあたる。幼い頃、祖父の護立が来客に「この間、火事があって、ものが焼けたんだ」と話すと、相手が「いつのことですか?」と尋ねた。祖父は「応仁の乱の時だけどね…」と答え、客を驚かせたという。
父の護貞は戦前に首相を務めた近衛文麿の秘書官だった。細川さんが2歳の時に実母(近衛の娘・温子)を亡くし、7歳で継母が来た。この環境が「やや屈折した少年」を生んだと振り返る。
厳しい素読の日々
小学校入学前から東洋哲学の研究者のもとで儒教の古典『古文孝経』の素読を始め、小学生になると毎晩夕食後に『論語』『古今和歌集』『万葉集』を1歳下の弟(近衛忠煇・元日本赤十字社長)とともに正座して音読させられた。間違えると箸で手をたたかれ、半べそをかきながら続けた。戦時中も防空壕でろうそくをともして素読を欠かさなかった。
父が素読を課したのは、京都大学時代の恩師である哲学者・西田幾多郎の影響が大きかった。西田から「昔の人は子どもに意味はわからなくても素読をさせた。大きくなって人生の関頭に立った時、その言葉に救われることがある」と聞いた父は、細川兄弟に徹底的に教育した。
小学校卒業までに『古文孝経』『論語』『古今和歌集』を全て暗記。特に『論語』の「忠恕(自分の良心に忠実であり、他者に誠実で思いやりを持つ)」という言葉を常に心に置いているという。
学校生活と衝撃の答案
小学校は神奈川県横須賀市のカトリック系・清泉女学院小学校で、非常に厳しかった。その後、中高一貫の栄光学園に進学。同校では期末ごとに講堂で成績を1位からビリまで発表しており、細川さんはそれに反発。雨の日は頭痛や腹痛を理由に休み、本を読んで過ごしたという。
その結果、中学2年から3年に進級できず、弟と同学年になった。さらに3年の社会科試験で「港町の発展の条件は何か」という問題に「ストリップ劇場」と答え、高校進学前に学校から「別の学校を探すように」言われてしまった。
次回は「政治家を志す」編へ続く。



