高速増殖炉「もんじゅ」の誘致に尽力し、福井県敦賀市白木地区の元区長を務めた橋本昭三さんが6月12日、97歳で亡くなった。橋本さんは国のエネルギー政策や原子力の課題に真摯に向き合い、市議や議長として地域振興に力を注いだ。多くの関係者がその死を悼み、人柄をしのんでいる。
「陸の孤島」からの変貌
白木地区は敦賀半島北端に位置し、かつては「陸の孤島」と呼ばれた。市街地へ出るには船を使うか、山越えの道を何時間も歩くしかなかった。橋本さんが区長だった1970年、動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現・日本原子力研究開発機構)から白木地区にもんじゅを建設する打診があり、橋本さんは了承した。
1985年に着工すると、地区へ通じるトンネルが整備され、市街地まで車で短時間で往来できるようになり、生活環境は大きく改善された。橋本さんのおいで、今年3月まで区長を務めた川端覚さん(60)は「おじの決断がなければ、白木には今頃、誰も住まなくなっていたかもしれない」と語る。
事故と安全への厳しい姿勢
しかし1995年12月、試運転中だったもんじゅでナトリウム漏れ事故が発生。動燃による事故情報の隠蔽もあり、厳しい批判が巻き起こった。橋本さんは1983年から市議を5期務め、事故当時は議長だった。「安全安心こそが、我々がもんじゅを受け入れた一番の条件だ」と動燃幹部職員らを厳しく叱り、原因究明を求めた。
元もんじゅ所長の向和夫さん(78)は「将来のエネルギー政策を支えるというもんじゅの役割を深く理解されていたからこそ、安全には厳しかったが、励ましてもいただいた。もう一度、お会いしたかった」と振り返る。
廃炉と日記に残した記録
もんじゅは2010年にようやく運転を再開したものの、その後もトラブルが相次ぎ、2016年に廃炉が決まった。橋本さんは落胆を隠せない様子だったという。原子力と関わる中で、橋本さんは20歳の頃から約70年間、地区の歴史や生活、もんじゅを巡る出来事などを和紙に墨書で記録し続けた。2021年には日本原子力学会の原子力歴史構築賞を受賞している。
川端さんは、「集落の周りに一人でアジサイを植え、石垣をこしらえるなど、本当に白木のことを大切にしていた」と懐かしむ。白木地区は現在、全15世帯のうち川端さんを含む10世帯ほどが原子力関連の仕事に従事している。「もんじゅは白木のためだけでなく、日本や世界のエネルギーの将来につながるものと信じていた。昨今は、もんじゅの敷地内に計画されている試験研究炉に期待を寄せていた」としのんだ。
敦賀市の米沢光治市長は「原子力の安全、安心を誰よりも厳しく訴え、古里を守ろうと取り組んでこられた。原子力と向き合って生きていく私たちにとって、お手本のような存在だった」と話した。



