ウクライナ戦争と金融危機が暴く市場の本質:平時の仮面と危機の本性
ウクライナ戦争と金融危機が暴く市場の本質

戦争や金融危機が起きるたびに、株価が上昇する現象に疑問を感じたことはないだろうか。市場はしばしば、私たちの感覚とは異なる動きを見せる。本記事では『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか 教養としての金融市場』(鹿子木健/講談社+α新書)から抜粋し、ウクライナ戦争や金融危機を例に、危機の時に浮かび上がる金融市場の本質について考察する。

平時の市場は仮面をかぶる

平時の市場は、需給、金利、成長率、企業価値といった理屈で説明される。数字が並び、グラフが描かれ、市場は合理的に動いているかのように見える。しかし、戦争や深刻な危機が起きた瞬間、その建前は崩れ去る。市場は説明をやめ、むき出しの本性を見せ始める。

2022年のロシアによるウクライナ侵攻はその典型だ。表向きは人道、正義、国際秩序が語られ、侵略は許されないとされた。しかし、水面下ではエネルギー資源の奪い合い、ガスと原油の供給網の組み替え、通貨の信認を巡る攻防、金融制裁による資金遮断とその抜け道の模索、国債市場への影響、為替とインフレの制御といった現実的な判断が積み重ねられた。

Pickt横長バナー — Telegram用の共同買い物リストアプリ

市場はこれらすべてを同時に織り込み、どの国が有利になるか、どの国が長期的に消耗するか、どの企業が生き残り、どの産業が切り捨てられるかを計算する。そこにあるのは、力関係と利害の計算だけだ。

市場が善悪を無視する理由

日本では戦争と投資を切り離して考えがちだ。「人道的に許されない行為がなぜ市場で評価されるのか」「誰かの不幸の上で利益を得る主体が存在するのか」という違和感は健全だが、市場の現実はその違和感を一切気にしない。市場は人間の感情を映す鏡ではなく、国家と資本と信用がどこへ向かうかを示す計器に近い。そこに善悪の評価を持ち込むと見誤る。

第二次トランプ政権の関税政策と外交も同じ構造を持つ。ドナルド・トランプ大統領の関税や交渉姿勢は「破壊的」「身勝手」「短絡的」と評されるが、市場が見ているのはその人物の品格ではない。「それによってどこが守られ、どこが犠牲になるのか」「どの産業が生き残り、どの国が通貨の主導権を保つのか」が問われる。

関税は交渉カードであり、圧力装置であり、経済戦争の道具だ。外交も同様で、理念よりも国内産業、友好関係よりも自国通貨と雇用が優先される。市場はそれを織り込み済みの事実として受け止める。重要なのは、これらの行動が市場では「例外」ではないという点だ。危機だから特別な判断がなされたのではなく、危機のときにこそ平時には隠されていた本音が露出する。

金融危機の繰り返しと市場の通常運転

平時の市場は倫理、説明責任、透明性、建前といった仮面をかぶり、それによって穏やかに回り、人々は安心する。しかし、国家の存続が脅かされ、通貨の信認が揺らぎ、金融システムが崩れる危険にさらされたとき、市場は迷わず、ためらわず、正しさを問わない。守るべきものを守り、切るべきものを切る。それが市場の通常運転だ。

繰り返される金融危機も同じ構図を持つ。リーマン・ショック、欧州債務危機、コロナ禍はいずれも「想定外」と語られたが、想定外だったのは人間の側だった。市場にとっては常に起こり得る事態であり、信用が膨らみすぎれば必ずどこかで破綻し、レバレッジが積み上がれば必ず反動が来る。そのとき何が救われ、誰が切り捨てられるのか。どの資産が守られ、どの価値が失われるのか。判断基準は一貫しており、人道でも倫理でもなく、力と信用と利害だ。

Pickt記事後バナー — 家族イラスト付きの共同買い物リストアプリ

この現実を直視しなければ投資の世界は理解できない。そして、この現実を出発点として制度を作り、国家と市場を結びつけた人物がアレクサンダー・ハミルトンである。彼は冷徹な現実を前提に近代金融の設計図を描き、市場は自然にできたのではなく、危機と恐怖と必要性の中から意図的に作られたことを理解していた。

『なぜ金融の勝者はいつも同じ顔ぶれなのか 教養としての金融市場』(鹿子木健/講談社+α新書)は、一日10兆ドル以上が取引される金融市場の仕組みを解説する。金融市場を知ることは世界の仕組みを知ることであり、本書は有望な金融商品ではなく、「世界基準のものの見方」を提供する。金融市場はある意図をもって作られ、歴史上の大危機を乗り越えながら拡大を続けてきた。危機のたびに多くの者が退場する一方、必ず勝ち残る者たちがおり、彼らには共通の思考法があるという。