対立が続く中東の国や地域の若者らの交流を通し、和平の実現を目指す京都発の活動がある。NPO法人大本イスラエル・パレスチナ平和研究所(亀岡市)の主任研究員、矢野裕巳さん(71)は、時に厳しい現実を突きつけられながらも、「異なる文化に関心を持ち、理解しあうことが平和につながる」と、長年活動に関わってきた。
世界連邦都市宣言が原点
活動の原点は、綾部市が1950年に国内で初めて行った「世界連邦都市宣言」。世界連邦は、各国が独立を保ちながら組織する国際機構で、国際紛争を武力ではなく「法と正義」での解決を図る。国内に現在ある自治体では、200以上が宣言している。
うち50自治体でつくる全国協議会(会長=桂川孝裕・亀岡市長)が支援しているのが、紛争で家族らを亡くしたイスラエルとパレスチナの遺族らを日本に招き、交流を通じて相互理解を深めようという試み「中東和平プロジェクト」だ。
13回開催、100人以上の遺族が参加
中東の和平実現こそが世界平和へつながるとの思いからスタート。自治体関係者らで作る実行委が主となり、これまで府内では綾部や亀岡、京丹後各市で計7回、府外の岡山県や静岡県なども含めると計13回企画され、100人以上の遺族が参加してきた。矢野さんはコーディネーターなどとして、現地の遺族会との調整、招いた若者らの案内などを担ってきた。
プロジェクトでは、現地の若者に日本でホームステイして地元住民や学生らと交流してもらったり、首相官邸や東京のイスラエル大使館、パレスチナ代表部などを訪問したりしてきた。直近で実施した2023年に亀岡市で開かれた第13回のプロジェクトでは、初めて参加者らと被爆地・長崎を訪れた。
長崎訪問と参加者の声
「原爆投下という観点から第2次世界大戦を学ぶことができて有意義だった」(イスラエル女性)。「平和を達成するのは難しいが、それでも達成できると感じた」(パレスチナ女性)。参加者は自国の歴史ほど被爆について詳しく学んでいない。しかし、長崎の原爆資料館などを訪れた参加者の感想が報告書に残されており、矢野さんは手応えを感じた。
一方で、03年に参加したパレスチナの女性の言葉が矢野さんの脳裏には深く刻まれている。2年後に再会した際、「日本ではお互い平和になれると信じていたが、帰って現実を見ると難しいと考え直した」と話したという。
今後の活動への思い
最後に交流事業のあった23年以降、緊張状態はさらに高まっている。次回のプロジェクト実施はまだ決まっていない。しかし矢野さんは、「平和には、若い人たちの交流が絶対に必要。異なる文化に関心を持つことが大切だ」と力を込める。
「理想論かもしれないが、世界連邦思想のもとで綾部から始まった。そこに意義がある」。プロジェクトが実を結んだとはまだいえない。ただ、お互いを理解するためには活動を続けていかなければならない。矢野さんはそう信じている。



