奈良県葛城市で8月1日、広島原爆の惨状を目の当たりにした田福愛子さん(90)が自身の体験を語る講演会が開かれる。当時9歳だった田福さんは、広島県観音村(現・広島市佐伯区、廿日市市)に疎開中、原爆投下の瞬間に遭遇。その日、広島市内から黒く焦げた被爆者が大勢運び込まれるのを目撃した。
原爆投下の瞬間
1945年8月6日午前8時15分、授業中に外がピカッと光り、数秒後にゴロゴロと大きな音がした。それまでの抜けるような青い空が真っ黒になり、強風とともに焼け焦げた紙のようなものが教室内に吹き込んだ。校庭に集められた全校児童は、校長から「B29に見られないようにして帰りなさい」と指示された。
帰宅すると母親から、広島から助かりそうな人が農協横にトラックで運ばれてくるので、父親がいるかもしれないから待つように言われた。トラックの荷台に乗せられた人のほとんどが真っ黒に焼け焦げ、「手足があるからかろうじて人だとわかる」状態だった。田福さんは必死に父親を探したが見つからなかった。
父親の帰還と後遺症
数日後、父親は徒歩で帰宅。服はボロボロ、顔はすすでわからないほどだった。通勤途中の駅で日差しが強かったためこうもり傘を広げた瞬間、強い光と爆風に襲われ、傘のおかげで顔は無事だったが、手と首が焼けたという。
母親に「広島から来た人の体には毒が入っているから流し出さないといけない」と言われ、田福さんは村の人に頼んでドクダミを集め、茶をつくるのを手伝った。運び込まれたが亡くなった人たちは掘った穴に置かれ、ガソリンで焼かれた。周囲に強いにおいが漂った。
田福さんは「怖いというより何が何だかわからなかった。敵の攻撃や爆弾とわかるのはもっと後になってから」と振り返る。終戦後も父親は原爆症で長い間苦しみ、親族や知人も原爆で直接亡くなったり、結婚差別にあったりしたという。
「人の知恵を戦いに使ってはならない。被爆手帳は持っていないが、あの時に見たことは『むごい』という言葉では表せない。戦争はしてはならない、やらせてはならない」と強く訴える。
講演の詳細
田福さんの講演は8月1日午後2時から、葛城市染野のゆうあいステーションで開かれる「第15回戦争体験を聞く会」(「葛城・戦争体験を聞く会」実行委員会主催)で行われる。講演前には原爆をテーマにした人形アニメを上映。広島の高校生が被爆者から聞き取って描いた絵画や、広島・長崎の原爆と現在の核兵器に関する資料、戦争遺品なども展示される。
実行委代表の岩下美佐子さん(77)は「田福さんが見たこと、聞いたこと、感じたにおいの全てが、当事者だからこその貴重な証言。ぜひ多くの人に聞いてもらいたい」と話す。問い合わせは岩下さん(080・6170・5490)。



