2001年9月11日の米同時テロから四半世紀が経過した。2977人が犠牲となった事件は、今も米社会に深い影を落とす。世界貿易センター北棟45階で被災した本田一寿さん(52)は、あの日の光景を鮮明に覚えている。
45階から見た異様な光景
陽光に照らされた無数のガラス片が降り注ぎ、書類が紙吹雪のように空中を舞っていた。2001年9月11日朝、金融取引会社勤務の本田さんは、窓のブラインドを上げた先に広がる異様な光景に、思わず使い捨てカメラのシャッターを切った。
その少し前の午前8時46分、ドーンという衝撃が走った。揺れは20~30秒で収まり、館内放送もない。「ニューヨークで地震とは」と同僚と言葉を交わし、パソコンに向き直った。未曽有のテロ事件のただ中にいるとは想像もしなかった。
避難の記憶
やがて焦げ臭いにおいが漂い、通気口から煙が噴き出した。本田さんは同僚と非常階段に向かった。けが人の避難を優先するため、40階付近で足止めされた。血だらけの負傷者が次々と下りてきた。逆に消防士たちは、ハンマーや消火器を手に駆け上がっていった。
「ジャンボ機がぶつかったらしい」。途中でそう聞いたが、「そんなはずはない」と、せいぜい軽飛行機だろうと思ったという。やがて非常灯が消え、階段は真っ暗になった。地上に逃れた本田さんが撮影した崩落寸前の世界貿易センタービル。ロビーは窓ガラスが割れ、スプリンクラーの泥水が膝近くまでたまっていた。外に出て見上げると、自分がいた北棟が燃えていた。ビルを離れて約10分後、振り返ると、南棟が崩れ落ち、土煙と爆風が迫ってきた。やがて、北棟も消えた。
世界の分断と記憶の継承
同時テロの翌月、米国はテロ首謀者らの本拠地アフガニスタンに進攻する。「テロとの戦い」はやがてイラクやシリアへと拡大。約20年にわたり膨大な戦費を費やした米国の力は後退し、世界はリーダー不在の時代に突入した。分断が修復に向かう気配はない。
中東の力学も塗りかわり、結果的に影響力を増したのが反米の地域大国イランだ。米国による今年2月以降のイラン攻撃も、25年前の米国を起点とする大きな流れの延長線上にある。
その米国で、2001年当時に生まれていなかったか、または幼すぎて事件を記憶していない世代が、今では国民の約3分の1を占める。同時テロはすでに「歴史」になったが、体験者の記憶は今も鮮烈だ。本田さんはこの時期、地上にたどり着くまでに見た光景が常に頭をよぎるという。「廊下や階段、オフィス、窓ガラス、泥水のことは今も覚えている」
次の世代に何をどう語り継ぐのか。あの日その場に居合わせた人々の多くが今、それを自問している。



