中国の景気低迷が続くなか、三菱自動車やホンダなど日本企業が中国市場から撤退・縮小する動きが相次いで報じられている。戦略コンサルタントの伊藤隆太氏は「三菱自動車もホンダも、資本と技術を中国に縛られる前に手を打った。一方、中国市場で勝ちすぎたドイツ企業は、巨大な投資が足かせとなり、動けなくなっている」と指摘する。
ドイツ車は中国に賭け、日本車は逃げた
2020年、中国政府が不動産過熱を抑える規制を強化した結果、大手デベロッパーが次々と経営破綻に追い込まれた。バブル崩壊から約5年、住宅価格は下がり続けている。住宅価格の下落やデベロッパーの債務問題は、建設業にとどまらず、地方財政、家計消費、若年層雇用、外資企業の投資判断にまで影響を及ぼしている。
中国国家統計局によれば、5月の小売売上高は前年同月比0.6%減と、2022年12月以来初めて減少した。1~5月の不動産投資も16.2%減と落ち込みが続く。中国商務省のデータでは、2025年の対中外国直接投資(FDI)は前年比9.5%減の7477億元にとどまった。
かつて中国は、多少の政治リスクを抱えても入り込む価値のある巨大市場だった。いまは市場の大きさそのものが、供給網、技術、資本を一つの政治空間に縛りつけるリスクにもなっている。
三菱自動車の「撤退」は正解だ
三菱自動車やキヤノンは、中国での生産や利益の出にくくなった事業を縮小し、損失が膨らむ前に手を打った。ソニーやホンダも、中国への一極集中を避ける生産体制の見直しに動いた。
対照的に、フォルクスワーゲン、BMW、ポルシェといったドイツ車メーカー、世界最大手の総合化学メーカーBASFなど、中国で成功してきたドイツ勢は、中国市場との深い結びつきがかえって身動きの取れなさに変わりつつある。
明暗を分けたのは、中国市場を好きか嫌いかではない。技術や人材、資本、供給網が中国に縛られる前に動けたかどうかである。
「24年間で1億台を作った工場」を閉じた理由
三菱自動車は2023年、中国・湖南省にある長年稼働してきた工場を閉鎖した。この工場は24年間で約1億台の車両を生産してきたが、中国市場での販売低迷と競争激化により、生産継続が困難と判断された。同社はその後、中国事業の縮小を正式に発表し、新車投入も停止した。
ホンダも2024年、中国での生産能力を20%削減する方針を打ち出し、一部工場の稼働停止や人員削減を進めている。これにより、同社は中国依存度を下げ、北米や東南アジアなど他の市場へのリソース配分を強化している。
「逃げ場のある自動車」だけが生き残る
伊藤氏は「中国で売る力より、中国に止められても作り、売り、逃げられる力のほうが重くなった」と語る。経済安全保障の時代、サプライチェーンの多様化と撤退の柔軟性が企業価値を左右する。日本企業は中国以外でも生産・調達・撤退できる余地を残しており、この点がドイツ企業との差を生んだ。
「中国で稼ぎすぎた」ドイツ車の落とし穴
フォルクスワーゲンは中国市場で長年トップシェアを誇り、利益の約40%を中国から得ていた。しかし、中国国内のEVシフトと地元メーカーの台頭により、販売台数は減少傾向にある。同社は中国に大規模な生産拠点と研究開発センターを構築しており、撤退や縮小には巨額のコストが伴う。
BMWも中国市場での販売が全販売の約3分の1を占める。同社は中国の合弁企業とともにEV生産を強化しているが、中国市場の減速と地元ブランドの競争激化に直面している。
ドイツ企業は中国市場に深く入り込みすぎたため、撤退の選択肢が極めて限られている。伊藤氏は「中国で稼ぎすぎたことが、逆に身動きを取れなくしている」と分析する。
技術の主導権を中国EVに握られた
中国のEVメーカー、BYDは2024年に世界のEV販売でテスラを抜いたが、2025年の利益は55%減少した。また、新興EVメーカーの破綻により、約40万人の消費者が「修理難民」となる事態も発生している。値下げ競争の激化で、中国EV産業全体が自滅的な状況にある。
ドイツ車メーカーはEVシフトで中国企業に後れを取り、技術面でも主導権を握られつつある。フォルクスワーゲンは中国のEV部品メーカーとの提携を強化するが、コスト競争で苦戦している。
自動車工場を止めるのは「不況」ではない
伊藤氏は「自動車工場を止めるのは不況ではなく、構造的な競争力の喪失だ」と指摘する。中国市場でのドイツ車の優位性は薄れ、現地メーカーの品質向上と価格競争力により、シェアを奪われている。ドイツ企業の固定費の高さと撤退障壁が、経営判断を鈍らせている。
米企業による「投資不可能」という烙印
米国企業の間では、中国への新規投資を避ける動きが広がっている。地政学的リスクや規制強化を理由に、中国は「投資不可能」と見なされるケースが増えている。この流れは、ドイツ企業にも影響を与え、中国市場への依存度の高さがネックとなっている。
日本車を守ったのは「逃げる勇気」だった
伊藤氏は「日本車を守ったのは、逃げる勇気だった」と総括する。三菱自動車やホンダは、中国市場での将来性を見極め、早期に撤退・縮小を決断した。一方、ドイツ企業は過去の成功に固執し、撤退のタイミングを逃した。
中国バブル崩壊後の5年は、日本企業とドイツ企業の差を明確にした。経済安全保障の時代、柔軟な戦略と撤退の勇気が企業の命運を分ける。



