被爆看護師、折り鶴解体に込める平和への祈り
長崎市に住む被爆者の平節子さん(99)は81年前、被爆医師の永井隆博士と同じ医院で働いていた。原爆投下後、博士の言葉を振り切って医院を一時逃げ出し、後ろめたさを抱えてきた。今年は博士の没後75年。百寿を前にした今も博士と平和への思いを胸に、折り鶴の解体作業を通じ、戦争がなくなるよう願う。
今月9日、長崎市の国立長崎原爆死没者追悼平和祈念館で、ボランティア約20人が館に寄贈された折り鶴を解体していた。車いすに乗った平さんの姿もあった。
修学旅行生らから寄せられる全ての千羽鶴の展示・保管は難しく、一定期間を経て、ボランティア団体「もってこい長崎レクリエーショングループお手玉の会」のメンバーが平和を願いながら、一つひとつ折り紙に戻す。その後、再生紙としてリサイクルする受け入れ先に送っている。
慣れた手つきで作業していた平さんは「折り鶴に込めた修学旅行生らの気持ちも考えながら、二度と戦争が起きないようにとの思いで解体している」と話した。
永井隆博士との日々、後ろめたさと共に
平さんは長崎県口之津町(現・南島原市)生まれ。10歳代の頃に旧長崎医科大(現・長崎大医学部)付属医院の看護師として働き始めた。食糧難で、常におなかがすいていた。「『何か食べたいな』という顔をしているな」。放射線医学教室の医師だった博士にそう言われたことを覚えている。患者思いだった博士から「白衣が血に染まるまで治療をしなさい」との教えを受けた。
原爆投下後、平さんは博士の指示に背き医院を離れた。その行動に長年後ろめたさを感じてきたが、現在は折り鶴の解体という形で平和への貢献を続けている。



