岡山県の山あいにある横野滝からの清流が流れる集落に、日本でただ一軒、金箔を支える和紙を漉く工房がある。それが「上田手漉和紙工場」だ。7代目の上田康正さんは、たった一人で1日約300枚の和紙を漉き続ける。父である6代目の上田繁男さんは2020年に岡山県指定重要無形文化財に認定されたが、康正さんは「父は技を教えなかった。教わると、そこが到達点になるからだ」と振り返る。
「ちゃっぽん」と響く手漉きの音
工房内では、「ちゃっぽん、ちゃっぽん」という和紙を漉く音が響く。上田さんは「簀桁(すけた)」と呼ばれる道具を両腕で抱えるように持ち、水を張った漉き槽の中でゆする。簀桁の中で原料が均一に広がり、薄い和紙の層が一瞬で形を成す。一定のリズムで淡々と繰り返すその姿は、まさに職人そのものだ。
「金沢の縁付金箔は、400年以上にわたり受け継がれてきた伝統工芸品です。私がこの手で1枚1枚漉く紙も、200年以上の伝統を守り作っています」。上田さんはそう語り、箔合紙と呼ばれる金箔を貼るための和紙を中心に、ハガキや封筒などの和紙も製作している。実母の順子さんと妻の裕子さんも陰で支え、3人で年間約4万枚の和紙を作り続ける。
海外輸出が急増、需要に追いつかず
「主要な客先は、先祖代々お世話になっている金沢や京都の箔打ち職人さんです。でも、最近では海外への輸出も増えているんです。ヨーロッパやアメリカなどで、芸術家がアート作品や古本の修復に使用するんだそうです」。強くて美しい光沢、自然の原料を使用した素朴さが国際的に高く評価されている。以前は国内の需要に対応するだけだったが、今ではかなりの枚数が海外へ輸出されているという。
「毎日、ひたすらに作り続けても需要に追いついていないのが現状です。新規のお客様から『こんな和紙を作ってほしい』とご依頼があっても、納品まで数カ月待ってもらっている状態なんです」。上田さんは、慢性的な供給不足に頭を悩ませている。
父の教え「技を伝えない」流儀
2020年、父の6代目・上田繁男さんが岡山県指定重要無形文化財に認定された。当時を振り返り、上田康正さんは「受賞は父の名前なので。当時の私は、なんとも思いませんでした。私は、ただひたすらに和紙を作っていましたから。恥ずかしいことに、その時は賞の重みを感じていませんでした」と語る。
上田さんは商業高校を卒業後、大阪の製本会社に就職。その後、家業を継ぐ決意をしたが、父は積極的に技を教えることはなかった。「教わると、そこが到達点になる。父はそう考えていたのだと思います。自分で見て、感じて、掴み取れ、という流儀でした」。その教えが、今の上田さんの技術と誇りを支えている。



