愛知・岡崎から百貨店が全滅、40年で松坂屋も西武も消えた再開発の顛末
岡崎から百貨店全滅、松坂屋も西武も消えた再開発の顛末

愛知県岡崎市の中心市街地「康生地区」は、かつて「愛知屈指の商都」と呼ばれた。しかし、1976年の再開発を皮切りに、松坂屋、西武、セルビといった百貨店が次々と姿を消し、現在では百貨店が一店も存在しない「百貨店消滅タウン」となっている。その顛末を、地元の記憶とデータから振り返る。

再開発で生まれたシビコ、40年の歴史に幕

1976年に開業した岡崎シビコは、158店の専門店が集まる大型商業施設として誕生した。地下で松坂屋やセルビとつながり、康生地区の商業の中心として賑わいを見せた。しかし、開業から40年余りで閉鎖。松坂屋岡崎店も1992年2月期に129億円の売上高をピークに減少し、1995年から2007年まで営業赤字が続いた。

市民の購買行動は百貨店より専門店志向

岡崎市商工会議所が1965年に実施した消費者調査によると、衣料品の購入先は百貨店よりも専門店や小売店が主流だった。紳士服を百貨店で買う人は16%で、6割は専門店や小売店。婦人子供服では百貨店が34%と健闘したが、靴では11%にとどまり、8割以上が専門店を利用していた。当時はブランドへのこだわりも低く、高級品を求める消費者は名古屋まで出かけていた。

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購買力の弱さが百貨店衰退の背景

1972年の人口1人当たり年間販売額は、岡崎が33万7000円で名古屋の44万7000円を下回った。1店当たりや従業員1人当たりの販売額でも豊田や刈谷に劣り、1976年には従業員1人当たり販売額で蒲郡や豊川にも逆転された。西三河最大級の都市でありながら、百貨店を持続可能にする購買力は育っていなかった。

郊外型SCの台頭で崩れる商業集積

1990年代後半、康生地区の商業集積は急速に崩れた。1992年に郊外に西友岡崎店が開業し、1998年にはシビコからジャスコが撤退。松坂屋の売上高は減少し、百貨店は徐々に存在感を失った。街の商業の重心は郊外へと移り、百貨店は生き残れなかった。

この構図は岡崎に限らず、八王子市でも同様で、人口3分の1の立川市の小売販売高にも及ばなかった。岡崎は「西三河の中心都市」という評価と、百貨店を支える商業力の間にずれがあったと言える。

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