スポーツ用品メーカー・アシックスの創業者、鬼塚喜八郎(出生名・坂口喜八郎)は、敗戦直後の焼け野原となった神戸三宮から自らの道を歩み始めた。経済ジャーナリストの財部誠一氏が著書『敗れてもまた走れ アシックス創業者 鬼塚喜八郎の情熱』(NewsPicksパブリッシング)でその軌跡を描いている。
焼け野原に立った三宮の駅前
1868年の開港以来、神戸は西洋文化を取り入れた独自の街を築いてきた。しかし、1945年の米軍による空襲は100回を超え、中心部の三ノ宮駅前は見渡す限りの瓦礫と化した。国鉄のネットワークだけが無傷で残された。
鬼塚夫婦との再会
見る影もない国鉄三ノ宮駅に喜八郎が降り立つと、「坂口さん」と声をかける鬼塚福弥が改札口で待っていた。隣には申し訳なさそうに頭を下げる清市がいた。福弥は「来てくださってほんとうに嬉しい」と喜びを表したが、背後に広がる暗澹たる光景に喜八郎は愕然とした。福弥は「我が家は空襲の難を逃れて無事です」と安心させた。
敗戦後の軍人の戸惑いと闇市の現実
戦時中も粗末な配給で窮乏生活を強いられた人々は、敗戦直後にはわずかな配給すら滞り、着物や宝飾品を食料と交換するため農家に殺到した。唯一の移動手段だった国鉄の列車は終日混雑していた。喜八郎は「列車の中は身動きできぬほどの混みようで、痩せた婦人は肩で息をして顔も青ざめていた」と語った。そうした中で、喜八郎はカネを稼ぐために就職し、最初に意味不明な仕事を任された。敗戦直後には土地の不法占拠が横行し、闇市が人間の欲の象徴として栄えていた。
鬼塚喜八郎の新たな始まり
喜八郎は、元軍人として居場所を失った中で、無から有を生み出す商売勘に驚嘆しながらも、鬼塚夫婦に迎えられ、後に養子となる。この経験が、後のアシックス創業につながる基盤となった。



