愛知県岡崎市の康生地区で、全国初の市街地再開発事業によって誕生した百貨店群が、開業から約40年で全て姿を消した。松坂屋、西武(旧・セルビ)、そして岡崎シビコ——かつて「愛知屈指の商都」と称された街の象徴は、今やマンションや日本語学校に取って代わられている。
全国第1号の再開発で街の重心が入れ替わった
再開発のきっかけは、法務省関係施設の移転だった。康生地区には明治から大正にかけて、刑務所や裁判所、税務署などの施設が集まっていた。しかし戦後、周辺に住宅や商店が増えると、岡崎城の正面に位置するこれらの施設は、市街地の発展を妨げる存在とみなされるようになった。
移転運動が始まったのは1952年ごろだ。利害調整や市の財政難もあり、実際に移転が完了するまで約19年を要した。その跡地に計画されたのが、大規模な市街地再開発である。岡崎は、全国に先駆けて街を丸ごとつくり替えようとしていた。
そして1971年、康生通西に岡崎ショッピングセンター「レオ」が開業する。この再開発事業は、都市再開発法にもとづく民間組合施行として全国第1号の認可を受けた。
都市再開発法とは、古い商店街や住宅地を一軒ずつ建て替えるのではなく、地域全体をまとめて新しい街へつくり替えるために1969年に制定された法律である。地権者が組合をつくり、それぞれの権利を持ったまま一つのビルへ建て替えることができる仕組みだ。
岡崎はその制度を使った全国初の再開発で、百貨店と地元専門店が同じフロアで営業する手法も全国初だった。
核テナントの松坂屋、セルビ、名鉄サンリバー
核テナントとして松坂屋が入り、続いて「セルビ」「名鉄サンリバー」も開業。完成したビル群は、業界誌で「砂漠の中のピラミッド群」と評された。なかでもセルビは、地下の配管を通じて周辺施設へ冷暖房を供給する地域冷暖房システムを導入した。市街地再開発地区では全国初の試みで、駐車場不足を補う役割も担っていた。地方都市としては異例の規模と先進性を備えた再開発だったのだ。
さらに、再開発は建物だけではなく、人の流れも変えた。それまでにぎわいの中心だった東岡崎駅前から、人の流れは康生地区へ移っていく。
松坂屋に挑んだジャスコ
1976年には、岡崎シビコが開業。開業時は158店の専門店があった。しかし、その後、郊外型大型店の台頭や消費者の嗜好変化により、百貨店の経営は徐々に悪化。2000年代に入ると、松坂屋は撤退、セルビは西武に衣替えしたが、それも長くは続かなかった。
現在、松坂屋跡地にはマンションが建ち、かつてオカダヤ(イオンの前身)が県外初出店を果たした場所も住宅になっている。シビコの一棟として開業した新天地ビルは、商業施設としての役割を終え、現在は日本語学校が入っている。
「全国初」の栄光から「百貨店消滅」へ
岡崎の再開発は、全国のモデルケースとして注目されたが、約40年でその役割を終えた。専門家は「地方都市の百貨店衰退は全国的な傾向だが、岡崎は再開発の先駆けだったがゆえに、その後の変化に対応できなかった面もある」と指摘する。
街の重心は再び東岡崎駅前に戻りつつある。康生地区の空洞化が進む一方、駅周辺では新たな商業施設の建設が進んでいる。岡崎の事例は、再開発の成功とその後の持続可能性について、多くの示唆を与えている。



