れいわ新選組の山本太郎代表が速度超過を認め謝罪した会見について、コミュニケーション専門家が分析。言葉では謝罪しながらも、笑顔や外的要因への言及が「弁解」と受け取られる可能性を指摘した。
謝罪の骨格は認めるも、弁解の要素が混在
山本氏は会見で速度超過の事実を認め、「不適切だった」「自分に責任がある」と述べた。しかし、車の静粛性や天候、道路状況などの外的要因を強調したことで、責任を自己以外に分散させているように聞こえる部分があった。全体としては謝罪を基調としつつも、弁解的な要素が混在していたと分析される。
笑顔が招く誤解
特に注目されたのは、山本氏が「天気もよく、まっすぐな道路で、ほかに車もないところで、ついついアクセルを踏み込んでしまったのだろう」と語った際に浮かべた笑顔だ。この表情だけで「反省していない」と断じるのは早計だが、謝罪会見では受け手の印象が重要。深刻な違反を軽く捉えている、あるいは責任を状況に分散させているという印象を与えかねない。
山本氏には説明時に笑顔を交える癖があり、緊張を和らげる反応や対人習慣の可能性もあるが、謝罪会見では意図とは無関係に、表情が言葉の重みを損なうことがある。
謝罪で問われるのは言葉だけではない
今回の会見では、山本氏は一貫して違反の事実と自らの責任を認めていた。しかし、具体的な経緯を説明しようとするほど弁解的な要素が増え、表情との組み合わせで謝罪の明確さが弱まる場面があった。謝罪で重要なのは、何を説明し、何を説明しすぎないか、そしてその言葉をどのような表情や態度で伝えるかである。今回の会見は、責任を認める言葉と、責任を相対化して見せかねない説明態度が混在していたと言える。



