ソニーの勝ち筋「中抜き」の元祖は盛田昭夫の父、大正ロマンが生んだ革新
ソニー中抜きの元祖は盛田昭夫の父、大正ロマンの影響

四半世紀にわたる“受難の時”を経て復活を果たしたソニー。だが、かつての「エレキのソニー」と今の「エンタメのソニー」とではまるで別の会社だ。神話に彩られたカリスマ創業世代なきあと、普通の「人々」はいかにエンタメのソニーを築き上げたのか。その転換点に迫る群像劇の一端として、創業者・盛田昭夫のルーツが注目される。

盛田昭夫塾が伝える創業者の原点

愛知県名古屋市内から車で知多半島に向かう。織田信長が今川義元を破った桶狭間の古戦場を抜けてさらに南下すると、トヨタ自動車グループの部品メーカー、デンソーの子会社でディーゼルエンジンの燃料噴射装置などを造るデンソーダイシンの工場群が現れる。巨大な工場群を抜けさらに南下、右手に中部国際空港(セントレア)を見ながら海岸沿いを30分近く走ると突然、打ちっぱなしのコンクリートとガラスの外壁で囲まれた近代的な建物が姿を現す。ソニーグループの創業者、盛田昭夫と妻、良子の記念館「盛田昭夫塾」である。

小鈴谷(こすがや)と呼ばれるこの地域で代々、庄屋を務めてきた盛田家は、江戸時代の初期、尾張藩の第2代藩主、徳川光友が酒造を推奨したため、造り酒屋になった。昭夫はその盛田家の15代当主である。盛田昭夫塾は「世界各国の要人と縁を結んだ両親の生きざまを後世に伝えたい」と考えた昭夫の長女、直子が盛田本家の隣に建てた記念館で、世界を股にかけた昭夫のビジネスの記録や、昭夫が連れてくる各国の要人を相手にした良子の「おもてなし」にまつわる品々が展示されている。

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「中抜き」の起源は盛田家の酒造りにあり

ソニーの勝ち筋として語られる「中抜き」戦略、すなわち中間業者を介さず直接顧客とつながるビジネスモデルの元祖は、盛田昭夫の父・盛田久左衛門にあった。久左衛門は造り酒屋の経営において、伝統的な問屋制度を介さず、自ら小売店と直接取引する方法を採用。これにより、利益率を高めるとともに、市場の声を直接反映できる体制を築いた。昭夫はこの父の姿勢を間近で見て育ち、後のソニーの直接販売戦略やブランド直営店の展開に生かしたとされる。

ジャーナリストの大西康之氏は「盛田昭夫は父から『中抜き』の精神を受け継ぎ、ソニーでも中間流通を排除する革新を起こした」と指摘する。この戦略は、ソニーがエレクトロニクスからエンタメ企業へと軸足を移す過程でも重要な役割を果たした。

大正ロマンが育んだ国際感覚

盛田昭夫は1911年、大正期に生まれた。大正ロマンと呼ばれる自由で開放的な文化の影響を全身に浴びて育った昭夫は、幼少期から外国文化に興味を持ち、アメリカにも臆することなく挑戦した。エンタメ好きは母親譲りで、音楽や映画を愛する家庭環境が後のソニーのエンタメ事業への進出の基礎となった。

「ハンマーを持ってこい!!」という有名な逸話に代表されるように、昭夫は問題が起きれば自ら工具を手にして修理する行動力を持ち、そのエネルギーは国際ビジネスでも発揮された。ソニーの指導者には輝きがなくてはならないという信念のもと、世界中の要人と交流し、ソニーのブランド力を高めた。

ソニー復活の鍵は創業者のDNA

四半世紀にわたる低迷期を経て、ソニーはゲーム、音楽、映画などのエンタメ事業で復活を遂げた。現在のソニーグループの連結売上高は約12兆円(2025年3月期)に達し、そのうちエンタメ関連事業が約6割を占める。この変革の根底には、盛田昭夫が培った「中抜き」と「エンタメ重視」のDNAがあるとされる。

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記念館「盛田昭夫塾」では、昭夫のビジネス哲学や妻・良子のおもてなしの心を展示を通じて学ぶことができる。ソニーの未来を考える上で、創業者の原点を訪れることは大きな示唆を与えてくれるだろう。