セブン-イレブン・ジャパンの創業者であり、流通革命を起こしたカリスマ経営者・鈴木敏文氏。その鈴木氏から直接指導を受け、"最後の弟子"と称されたのが、元副社長の野田靜真氏だ。全国2万1000店を統括する"大番頭"として、業績の悪いエリアを次々と立て直し、米国事業でも成果を挙げた。しかし、なぜ彼は社長になれなかったのか。フリーライターの村尾信一氏が、野田氏にその真相を聞いた。
「鈴木イズム」の正統継承者
1973年にセブン-イレブン・ジャパン(当時ヨークセブン)を創業した鈴木敏文氏は、数々の流通革命を成功させたカリスマ経営者である。社内では"神"と崇拝され、幹部社員であっても軽々しく近づけない独特の距離感があった。その中で鈴木会長(当時)が心を許し、真の意味で評価した幹部は数えるほどしかいない。おそらく野田靜真氏は、鈴木会長から信頼され薫陶を受けた"最後の弟子"と言えるだろう。まさに鈴木イズムの正統継承者である。
業績不振エリアの立て直し手法
野田氏は西東京ゾーンで見事な成果を上げた。着任した翌月には、西東京ゾーンの売上前年比が全国最下位から2位に浮上するという奇跡的な改善を達成した。その手法は、「悪いときは一点突破しかない」という考え方に基づく。キーワードは単品管理。単品管理で一点突破して成功体験をつくり、自信を持たせてから他の施策へ広げていく。これが野田氏の常套手段だった。
当時の野田氏が業務改革委員会(業革)という幹部会議で発表したケーススタディは以下の通り。
- 現状分析:「なぜこのエリアは他より悪いのか?」「どのカテゴリーが弱いのか?」「理由は何か?」を掘り下げた結果、西東京ゾーンは明らかにタバコが弱かった。
- 仮説:タバコのような嗜好性の強い商品は、品揃えの幅を広げた店の方が売り上げが伸びていた。これを全店で進めればよいのではないか。
- 実施:ここでの一点突破は「タバコの品揃え見直し」だった。アイテム数を拡大し、カウンター後方に設置された専用陳列什器を前面に移動した。
- 検証:売り上げ構成比25%のタバコが改善されると売り上げ全体へのインパクトも絶大だった。
野田氏が実践した「現状分析→仮説→実施→検証」のPDCAは、まさに鈴木から叩き込まれた単品管理そのものだった。その後、タバコを起点に取り組みカテゴリーを広げて、個店、地区の売り上げを次々と改善していった。
野田氏は当時をこう振り返る。「別に、タバコじゃなくてもよかったんです。ただ、タバコは即効性があります。負け癖のついた現場に、まずは数字を変えられるという実感と、自信を持たせたかったんです」
米国事業での成功と帰国命令
野田氏はその後、中国事業から一転して米国に派遣される。鈴木会長から突然「悪い、あの話、なくなった」と言われ、米国行きを命じられたという。米国では、セブン-イレブンのピザ事業を全米3位に押し上げるなど、単品管理を駆使した戦略で成功を収めた。しかし、現地での成功を評価されながらも、帰国命令を受けた際には号泣したというエピソードも明かされた。
なぜ社長になれなかったのか
野田氏は、鈴木会長から信頼され、実績も十分だったにもかかわらず、社長にはなれなかった。その理由について、野田氏は「もっとも有能な人間が社長になるとは限らない」と語る。厳しい局面で求められた役割を果たすことが自身の使命であり、社長の座は別の人物に託された。カリスマが去った後、セブン-イレブンは新たな体制へと移行したが、野田氏は最後まで鈴木イズムを体現し続けた。
このインタビューは、前編・後編に分かれており、野田氏の波乱万丈のキャリアと、鈴木敏文氏との関係性を詳しく掘り下げている。



