金融システムは投資家の利益のために存在しているわけではありません。金融商品は、まず「道具」です。しかもそれは、利用者の幸福を第1目的として設計された道具ではありません。設計上の目的は、より単純で、より冷静です。資金を集め、循環させ、一定のルールのもとで回収すること。
預金、保険、投資信託、株式、債券、ローン。名前は違えど、役割は驚くほど似通っています。どれも、「お金を動かさないと社会が止まる」という現実に対応するために生まれた仕組みです。
預金は銀行への貸付である
たとえば、銀行預金について考えてみましょう。私たちは預金を「安全に保管されているお金」だと考えがちです。しかし、法的に見れば、預金とは銀行に対する貸付です。つまり預金とは、銀行が顧客に対して負っている債務でもある。
私たちはお金を預けているのではありません。銀行に貸しているのです。銀行はそれを原資として、企業や個人に貸し出し、利ざやを得る。預金が比較的安全に見えるのは、預金保険制度や中央銀行のバックアップがあるからであり、金融商品の本質が変わったからではありません。
「困ったときの仕組み」保険の実態
保険も同様です。「困ったときに助けてくれる仕組み」という顔をしていますが、その実態は、確率計算と資金プールのシステムです。多くの人から資金を集め、起きた事象に応じて支払う。ここで基盤になっているのは、感情ではなく統計です。
事故に遭ったとき、病気になったとき、災害が起きたとき。その1つひとつに道徳的判断が介在しているわけではありません。あらかじめ想定された確率と条件に沿って、資金が動くだけです。
投資信託や株式も同じ
投資信託や株式も同じです。これらはしばしば、「個人が成長の果実を分けてもらえる仕組み」と説明されます。しかし実際には、企業活動を継続させ、資金調達を円滑に行うための制度です。投資家は、あくまでその構造の中に参加する存在であり、主役ではありません。企業が資金を調達できるから市場が成り立ち、国家が税を取れるから制度は維持される。その流れの中で、個人の利益が「許容されている」にすぎません。



