タワマン暮らしで88.2%が「ついやってしまう」こととは? アンケート結果を漫画とともに紹介
タワマン暮らし、88.2%が「ついやってしまう」こととは

タワマンに住む人の約9割が、思わずやってしまう習慣や行動を持っていることが、マイナビニュースのアンケートで明らかになった。調査は2026年9月30日、マイナビニュース会員400人を対象にインターネットログイン式で実施。このうちタワマンの居住経験が「ある」と回答した136人に「タワマンで暮らしているとついやってしまうことはありますか?」と尋ねたところ、88.2%が「ある」と答えた。

眺望を楽しむことが日課に

回答で最も多かったのは、窓からの景色を楽しむというもの。朝夕の眺めから帰宅後の夜景まで、暮らしのさまざまな時間に景色が登場する。

  • 「朝日や夕陽、富士山を眺めるのが日々の楽しみ。」(41歳・男性)
  • 「一日に何度も高層階からの風景を眺めてしまう」(35歳・男性)
  • 「帰って窓から夜景を見ること」(36歳・男性)
  • 「高層階の景色に見惚れて時間を忘れてしまうこと」(46歳・男性)

同じ窓からの景色でも、時間帯によって楽しみ方は異なる。「日々の楽しみ」という回答からは、眺望が日常の楽しみとして定着していることが伝わる。

夜景を眺めながらの晩酌や、景色を自慢したくなる気持ち

景色と一緒に飲み物を楽しむ声も寄せられた。夜景を見ながらの晩酌や、ビール、ワインを飲む場面が挙がっている。

  • 「夜景を見ながらの、晩酌。」(44歳・男性)
  • 「ベランダからビール片手に眺めること」(42歳・男性)
  • 「景色を眺めながらワインを飲む」(45歳・男性)

一方、景色のよさを誰かに伝えたくなるという回答もあった。

  • 「みんなに高層階からの景色を自慢してしまう」(45歳・男性)
  • 「タワマン以外の人に自慢してしまいます」(29歳・女性)
  • 「金持ちになった気になる」(36歳・男性)
  • 「景色が綺麗で優越感に浸れる」(32歳・男性)

「いい景色を見てほしい」という話も、相手や伝え方によっては自慢として受け取られることがあるかもしれない。ただ、今回の回答には相手の反応までは書かれておらず、実際にどう受け止められたかはわからない。

エレベーター待ちで10分前行動、外出が減るという声も

外出の時間を決める際、エレベーターの待ち時間を考慮するという回答もあった。

  • 「エレベーターが他の人と重なって、何回か待つことがある」(41歳・女性)
  • 「エレベーターをバスか電車のように感じる」(45歳・女性)
  • 「エレベーターの待ち時間が長くて遅刻しそうになる。」(48歳・女性)
  • 「エレベーターの待ち時間の為に常に10分前行動」(31歳・男性)

「バスか電車のよう」という表現が印象的だ。自宅の設備であっても、ほかの人と共用する以上、自分の予定だけでは動けない場面がある。

また、外へ出る手間を理由に、自宅やマンション内で過ごすという回答も寄せられた。

  • 「ゴミをまとめたり外出を絞って行う」(37歳・男性)
  • 「外出が面倒でUberに頼ってしまう。」(46歳・女性)
  • 「下に降りるのが面倒なので外出が減る」(33歳・男性)
  • 「休日もマンション内で過ごしてしまい、時間を有効活用できていない」(39歳・女性)
  • 「エレベーターに乗る時間が長すぎて家から出たくない」(27歳・男性)

外出をまとめるという工夫もあれば、外へ出ること自体が億劫になるという声もあった。休日をマンション内で過ごすことについて、「時間を有効活用できていない」と捉える回答者もいる。

天気や気温の確認方法、感動への慣れも人それぞれ

窓は外出前に外の様子を確認する場所でもある。回答には、天気や服装の判断に関わる習慣も挙がった。

  • 「外の天気をチェックする前に、まず下を歩く人の服装を見る」(49歳・男性)
  • 「天気・外気温を確認しないで出かけようとする」(48歳・男性)

一方、景色に慣れたという回答もあった。

  • 「ベランダからの夜景には完全に目が慣れ、最初の感動はどこへやら。今や『一番きれいな部屋干しスペース』と化している。」(26歳・女性)※長文回答の一部を抜粋
  • 「せっかくの高いところの夜景なのに結局カーテンを閉めて就寝すること」(42歳・男性)
  • 「特になにも変わらない。」(49歳・男性)

今回の回答には、眺望や晩酌を楽しむ声のほか、エレベーターの待ち時間に合わせて動く声、外出が減ったという声、景色への感動が薄れたという声があった。これらは個々の回答者が記した行動や受け止め方であり、タワマンに住む人全体の特徴を示すものではない。日常の何気ない場面にも、住環境や立場、価値観による小さな「当たり前のズレ」が表れている。