徳川慶喜家の5代目当主である山岸美喜さんは、約300坪の広大な墓所を「墓じまい」する決断を下した。その背景には、親族ほぼ全員の反対や、史跡指定による制約、宗旨の違いによる管理拒否など、数々の困難があった。山岸さんは、名門ゆえの重責と孤独な闘いを経て、最終的に上野東照宮が墓所の管理を引き受けることになった経緯を明かした。
親族の反対と史跡指定の壁
墓所は徳川慶喜公の時代から続くもので、土葬のため遺骨の移設も容易ではない。さらに、史跡に指定されているため、移転自体が可能かどうかも不透明だった。山岸さんは「どこか別の場所に墓を移すといっても、史跡指定されているので可能かどうかもわからず、しかも莫大な費用と手間がかかる」と当時の状況を振り返る。
親族からは「なぜ今さら墓を動かすのか」と強い反対を受けた。山岸さんは「親族ほぼ全員が反対しました。涙が出るほど辛かった」と語る。しかし、維持管理の負担や将来のことを考え、墓じまいを決断した。
寛永寺の断りと昭武公の子孫の助言
まず、上野寛永寺に相談したが、徳川慶喜家の墓は仏式ではなく神式であり、皇族と同じ「円墳」という珍しい形状であるため、寛永寺とは宗旨が異なるとして管理を断られた。山岸さんは「宗旨が違うと断られ、本当に困り果てました」と述べる。
次に、徳川慶喜の弟である昭武公の子孫、徳川文武さんに相談した。山岸さんは「慶喜がもっとも信頼していた弟、昭武公のご子孫ですが、これまでお会いする機会はありませんでした。突然の電話なのに真摯に相談に乗ってくださり、『上野東照宮に相談されてはいかがでしょうか』とご助言いただいた」と感謝する。
上野東照宮の申し出に涙
徳川文武さんの助言を受け、山岸さんは上野東照宮のホームページに記載された連絡先に電話し、事情を説明した。すると、禰宜の嵯峨まきさんが快く面会してくれた。山岸さんは「八方塞がりの中、藁にもすがる思いで上野東照宮を訪ねました。すると『お墓のことでお困りでしたら、うちで管理させていただきます』とおっしゃってくださって……。ありがたいお申し出に、あのときは涙が出ました」と当時の感動を語る。
上野東照宮は、徳川家康を祀る神社であり、徳川家とのゆかりも深い。今回の管理引き受けは、山岸さんにとって「これ以上ないお話でありがたい」ものだったという。
墓じまいの意義と今後の展望
山岸さんは、墓じまいを通じて、徳川慶喜家の歴史や文化を後世に伝えることの重要性を再認識したという。墓所は上野東照宮が適切に管理し、一般公開も検討されている。
「徳川慶喜公の遺徳をしのび、多くの方に歴史を感じていただける場所にしたい」と山岸さんは語る。墓じまいは、単なる終わりではなく、新たな始まりでもある。



