江戸時代からあった「均一ショップ」、五百文均一で人気だった意外な商品
江戸時代の均一ショップ、五百文均一で人気だった商品

100円ショップは現代の日本にすっかり定着しているが、そのルーツは意外にも江戸時代にまで遡る。近世史研究家で有職故実家の髙山宗東氏は、広島発のダイソーが普及させた100均ビジネスは昭和から令和にかけて磨かれてきたと思われがちだが、実は江戸時代から存在していたと指摘する。

「100円均一」という目くらまし

100円ショップに行くと、つい財布の紐がゆるむ。消費税込みで実質110円。並んでいる商品の中には200円、300円、中には500円の別札が付いているものも結構あるのに、どこか「100円だろ」という安心感がある。諸物価軒並み値上げの昨今、それでも「100円」という価値の枠内に踏みとどまろうとしているところは立派ともいえる。

そういえば、もう四半世紀も前のことだが、髙山氏の先生が100円ショップの老眼鏡をしげしげと眺めて、「材料を手配して、加工して、搬送して、店に並べて、どうして100円でできるのかが解らない。恐ろしいことだ……」と仰っていたという。今、髙山氏自身が老眼鏡をかける年齢になって、先生の言葉が身に沁みて思い起こされる。

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江戸生まれの「均一ショップ」

100円ショップの老眼鏡は、充分用が立つ。否、むしろ「便が良い」とさえいっていい。きちんとした眼鏡屋で老眼鏡を作れば、どんなに安くても小一万はかかる。しかし、老眼鏡というものは、手近を見るものであって、かけ続けるものではない。つけては外しを繰り返す属性から、すぐに失くなる。所在が分からなくなる。御屋敷に住んでいるわけでもないのに、狭い陋屋ですぐに所在が分からなくなり、これを探すだけで日が暮れてしまったりする。だから、100円ショップのものが便が良いのだ。

書き物机、寝床、トイレ、洗濯物のタグを読むために洗濯機の脇――使うであろう場所に備え付けておけば、あたふたと探しまわることはない。外へ出る時も忘れがちで、これが無いと思わぬ難渋をする。だから、いくつかの他出用鞄のすべてに、老眼鏡をひとつずつ忍ばせておけば、その難儀は回避できる。5本買っても550円。10本買ったところで1100円。小一万の眼鏡ではこうはいかない。だから、100円ショップに行くと財布の紐が緩むのだ。

銭形平次が投じた四文銭

江戸時代にも、現代の100円ショップに相当する「均一ショップ」が存在した。髙山氏によれば、当時は「五百文均一」や「十九文均一」といった均一価格の店が庶民の間で人気を博していた。特に五百文均一の店では、現代の100均と同様に老眼鏡が人気商品だったという。老眼鏡は、現代と同じように、手元を見るためのもので、かけ続けるものではないため、失くしやすく、複数購入する需要があった。五百文という価格は、当時の庶民にとって手頃であり、品質もそれなりに満足できるものだった。

なぜ半端な十九文均一なのか

江戸時代の均一ショップは、なぜ十九文や五百文といった半端な価格設定だったのか。髙山氏は、これは当時の貨幣単位や物価に基づく合理的な価格設定だったと説明する。十九文は、一文銭19枚分で、当時の庶民の小遣いで買える範囲の価格。五百文は、より高価な商品を扱うための価格帯で、現代の500円ショップに相当する。これらの均一価格店は、商品を大量に仕入れて低価格で提供することで、庶民の需要を捉えた。

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“500円ショップ”で人気だったのは…

五百文均一の店で特に人気だったのは、現代の100均と同様、日用品や小物類だった。中でも老眼鏡は、高齢化社会であった江戸時代においても需要が高く、手軽に入手できる点で重宝された。また、陶磁器や木工品などの雑貨も人気で、現代の100均のような「掘り出し物」を求める楽しみがあったという。

均一価格で売れた真のカラクリ

均一価格で売れた真のカラクリは、大量仕入れによるコスト削減と、顧客の心理に訴える価格設定にある。髙山氏は、江戸時代の商人たちは、現代の100円ショップと同じように、均一価格というシンプルな仕組みで顧客の購買意欲を刺激し、在庫リスクを抑えながら利益を上げるビジネスモデルを確立していたと分析する。このビジネスモデルは、時代を超えて受け継がれ、現代の100円ショップへと進化した。

1985年にオープンした日本初の100円ショップ「LIFE春日井店」(現存せず)は、この江戸時代からの伝統を現代に甦らせた先駆けと言える。そして現在では、ダイソーやキャンドゥ、セリアなどの大手チェーンが全国に展開し、100円ショップは日本の消費文化に不可欠な存在となっている。