キルギスの湖底に眠るシルクロード都市、約800年前に水没か 調査で歴史解明へ
キルギスの湖底に眠るシルクロード都市、約800年前に水没か

朝日が昇り始めたばかりの時間帯。ダイバーのエリザベータ・ボドロワさん(42)は、キルギスのイシククル湖の冷たい水に飛び込もうと意気込んでいた。湖底には、かつて繁栄した都市の遺跡が数百年にわたり水没したまま眠っている。

中国と欧州を結んだ古代の交易路沿いに位置していたこの都市については、キルギス最大の湖に沈んだ経緯も含め、ほとんど分かっていない。都市は約800年前に水没したとされる。

ボドロワさんは約20人の科学者らと共に、都市の歴史を解き明かす調査に参加している。その成果は、中央アジアや周辺地域の歴史に対する理解を変える可能性がある。

ボランティアのダイバーであるボドロワさんは「今日は水中の視界があまり良くないけれど、それでも集落の境界を見つけられたらいいですね」と笑顔でAFPに語り、モーターボートから湖に飛び込んだ。

ロシア科学アカデミーの資金提供を受けて2024年に始まった今回の調査は、19世紀に遺跡が再発見されて以来、初めての大規模な探査となる。

歴史の「空白地帯」

この集落は、かつてシルクロードの中心部に位置していた。シルクロードは紀元前2世紀から15世紀半ばまで、中国と地中海地域を結んだ交易路だった。

現在のキルギスは遊牧民と結び付けて語られることが多いが、歴史上、さまざまな文明が栄えてきた。欧州と中国の間で交易を行ったテュルク系王朝もその一つだ。

調査隊を率いるマクシム・メンシコフ氏は、ボートを操縦しながら「中央アジアのまさに中心にありながら、歴史の空白地帯となっている」と遺跡について語った。

「中世に東洋と西洋を結んだ時代のことであり、人類史において非常に重要な一章だ。シルクロードは単に一つの地域の歴史ではなく、ユーラシア全体の歴史なのだ」と続けた。

集落が存在した当時、この地域を通るシルクロードの一部は、9世紀から13世紀初頭にかけて中央アジアの広い範囲を支配したテュルク系王朝、カラハン朝の支配下にあったと考えられている。

都市の名前や人口は分かっていないが、研究者らは最大で約5平方キロに広がっていた可能性があるとみている。

遺構の年代を正確に特定するのは難しい。ただ、遺跡で見つかった2か所の墓地は、この地域でイスラム教が広まり始めた時期に造られたとみられている。

発見された遺構には装飾が施された公共建築物もあり、モスクや公衆浴場、宗教学校だった可能性が指摘されている。

「ポンペイ」に似た遺跡

数時間にわたり湖底をくまなく探したダイバーたちは、成果物である動物の骨や陶器の破片を手に陸地へ戻った。

調査隊のダイバー兼研究補助員、ビクトル・ポズドニャコフさん(22)は「見つかった骨を調べれば、動物の食性や骨の年代、当時この地域に住んでいた人々の食生活を知ることができる」と話し、また「陶器を分析することで、出土品の年代をより正確に推定できる。また、陶器の産地や製法も明らかにできる」と続けた。

持ち帰られた出土品は、慎重に保存、分類、記録される。その中には「トゥバク」と呼ばれる子ども用のおまるもあった。

メンシコフ氏は「これは現在でも中央アジアやコーカサス地方で使われている」と語り、当時の都市生活を知る手掛かりだと指摘した。

遺跡は19世紀から研究者に知られていたものの、ロシアとキルギスの調査隊による体系的な探査が行われるようになったのは近年のことだ。

研究者らは、今回の調査によって中央アジアの歴史の解明が進むことを期待している。

メンシコフ氏は、紀元79年のベスビオ山の噴火で埋もれたイタリア・ナポリ近郊の古代ローマ都市の遺跡を引き合いに出し、「この調査はポンペイの研究に例えられる」と語った。「そこには高度に発達した文明と文化が存在していた。しかし一瞬にして、自然がそのすべてを破壊してしまったのだ」と同氏は続けている。

都市がイシククル湖に沈んだ原因は、今も謎に包まれたままだ。

地滑りによって集落が湖底に沈んだとする説や、地震などによって生じた地殻変動で湖水が自然にせき止められ、水位が徐々に上昇して水没したとする説もあるが、ロシア科学アカデミーの地質学者アンドレイ・ストレリニコフ氏は、過去に発生した地震災害が原因だった可能性が高いとの見方を示している。