「生命科学界の異端児」と呼ばれたアメリカの科学者で起業家のクレイグ・ベンター博士が2026年4月、79歳で死去した。死因はがん治療の予期せぬ副作用だった。ベンター博士は生物のゲノム(全遺伝情報)を解読してデジタル情報として扱うゲノム科学、そして工学的なアプローチで生物を「作って」理解する合成生物学という二つの分野を開拓した稀有な科学者である。
ベトナム戦争が変えた人生
型破りな人物として知られるベンター博士は、科学者になるまでの過程も起伏に富んでいる。コミュニティカレッジ在学中に徴兵され、ベトナム戦争に衛生兵として従軍。戦争の狂気と死の恐怖にさらされる日々の中で「生命の本質」に興味を抱いた。少年時代は劣等生だったが、戦場から生還すると生まれ変わったように学業に打ち込み、カリフォルニア大学サンディエゴ校で生理学と薬学の博士号を取得した。
1980年代には米国立衛生研究所(NIH)で、当時まだ黎明期だった遺伝子の塩基配列の解読に取り組んだ。開発されたばかりの自動解読装置や新規の手法をいち早く導入し、遺伝子を効率的に解読する「EST法」を考案。早速、ヒトの脳内で働く数百もの遺伝子を解読し、方法の有効性を証明してみせた。同時に、解読した遺伝子の特許を申請したことで物議を醸したが、申請は却下されている。
ヒトゲノム解読競争と「引き分け」
ベンター博士が世界の注目を浴びたのは、1990年代後半、日米欧などの各国政府が出資する公的なヒトゲノム解読プロジェクトに対して、自ら設立したベンチャー企業を率いて競争を挑んだときである。熾烈な競争は「引き分け」に終わったが、ベンターの参戦がヒトゲノム解読を大幅に加速させたのは間違いない。1995年には180万塩基対のヘモフィルス・インフルエンザと58万塩基対のマイコプラズマ・ジェニタリウムという二つの微生物のゲノム全塩基配列を解読することに成功。人類が初めて手にした生物のゲノムの完全な情報だった。
だがベンター博士の真骨頂は、ゲノムを「読む」時代が始まったばかりのその時期に、早くも次の「書く(合成する)」時代の到来を予見し、革新的なプロジェクトでその流れを作っていったことだろう。それは、「生命の定義」を変える試みでもあった。
合成生物学の創成と生命の再定義
ベンター博士は2000年代に入ると、人工的にゲノムを合成し、それを細胞に移植して自己複製する生物を作り出す研究に着手。2010年には世界初の完全合成ゲノムを持つ細菌「マイコプラズマ・ミコイデスJCVI-syn1.0」の作製に成功した。この成果は「合成生物学の金字塔」と称され、生命をデジタル情報から設計・構築できることを実証した。
科学ジャーナリストの須田桃子氏は、10年ほど前に『合成生物学の衝撃』(文藝春秋)を執筆するためアメリカに1年間滞在し、多くの研究者にインタビューした。多彩な研究者たちが織りなすこの分野の歴史の中でも、先見性と大胆な実行力を併せ持つベンター博士の存在は別格だったという。ベンター博士や彼と研究を共にした主な研究者たちへの取材は今も忘れがたいと述べている。
遺したものと未来への影響
ベンター博士の業績は、医療、エネルギー、環境など多岐にわたる分野に影響を与えている。例えば、人工的に設計した微生物によるバイオ燃料の生産や、環境浄化、新たなワクチン開発などが現実味を帯びてきた。一方で、合成生物学の倫理的・社会的課題も指摘されており、「人類に使いこなす知性はあるか」という問いを投げかけている。
ベンター博士は生涯を通じて、科学の限界に挑み続けた。その死はゲノム科学と合成生物学の分野に大きな空白をもたらすが、彼が切り開いた道は次世代の研究者たちによってさらに発展していくだろう。



