がん医療や研究の充実を目指し、平成18年に成立した「がん対策基本法」は今年6月、成立20年の節目を迎えた。法成立の原動力となったのはNPO法人「がんと共に生きる会」(大阪)だった。濱本満紀理事長に、この20年に起こったがん患者を取り巻く社会の変化と新たな課題について聞いた。
法成立前は「がん=死」のイメージ
法成立の前、がん患者を取り巻く環境について、濱本理事長は「当時は『がん=死』というイメージが強く、がん全体の5年生存率も今より低い5割程度でした。副作用や厳しい治療で社会生活を送れなくなり、『社会的死』と呼ぶべき孤立状態に追い込まれる患者もいました」と振り返る。
自身も当時、Ⅳ期のS状結腸がんを患う60代の母の治療法を探し求める「がん難民」だったという。「本人に告知をしないのが一般的で、家族にだけ余命1カ月と宣告され、痛みを取るだけで積極的な治療は行わないと言われました」と当時を語る。
それでも諦めずに探して出会ったのが、本人に告知をした上で治療を行う医師だった。「その際『病気が回復したら何ができるようになりたいか』と聞かれます。希望がつらい治療の支えになるからです。ビールが好きな母は何と、いつまでもビールを飲みたい、と言ったのです。患者自身が状態を理解し、どんな目標であっても前向きに治療に参画する『当事者意識』を持つことが大事だと痛感しました。おかげで母は、晩酌を楽しみながら2年半生き抜くことができました」と話す。
当事者の声が基本法成立へ
そうした当事者たちの声が基本法の成立へとつながった。濱本理事長は「その医師のもとに集まった患者を中心に『がんと共に生きる会』を結成したのが基本法成立の6年前です。海外では標準治療で使えるのに国内では未承認の薬の早期の一括承認と、抗がん剤治療を担う『腫瘍内科医』の育成などを国に訴えました」と説明。さらに平成17年に「第1回がん患者大集会」で厚生労働相に政策提言を行い、これが省内の「がん対策推進本部」設置と、翌年の基本法成立へと結びついていったという。
以降、患者の社会生活は変わったのか。「以前は治療の副作用などで仕事を辞めざるを得ない人が多くいました。28年の改正法には事業者の雇用継続努力が盛り込まれ、制度的な枠組みは整ってきました。ただ、中小・零細企業の実態はまだ十分ではありません。経営者への啓発に加え、拠点病院の医師が患者の状況を申し送るなど、柔軟な両立支援がまだまだ必要です。一律の制度を当てはめるのではなく、地域や個人の事情に応じた『濃淡のある支援』が求められています」と課題を挙げる。
残る課題は「人対人」の支援
残る課題について、濱本理事長は「スマートフォンなどを用いた医療DX(デジタルトランスフォーメーション)が進み、自宅療養中の症状管理などが便利になる中、機器を扱えない患者が取り残されないか。がん患者の多くは高齢者です。デジタル化が進むからこそ、それを補う『人対人』の支援政策も浸透させなければなりません」と指摘する。
その上で「患者が正しい情報を得て適切な医療を選択し、治療後も自分らしい人生を送り続ける。そのためにも、制度という骨組みに血を通わせる支援を続けていく必要があると思っています」と話した。
がん対策基本法と濱本満紀氏
がん対策基本法は、がんの予防や早期発見、医療向上、患者や家族への支援など総合的ながん対策の推進を目的に、平成18年に成立。全国のがん医療均質化のため、がん診療連携拠点病院の設置を加速させた。
濱本満紀氏は昭和34年生まれ。両親や友人のがん闘病と看取りを経て、平成12年に「がんと共に生きる会」を結成。現在は理事長として、がん患者や家族の立場を講演活動で伝える。
「がん電話相談」(がん研究会、アフラック、産経新聞社の協力)は毎週月~木曜日(祝日・振替休日を除く)午前11時~午後3時に実施している。電話は03・5531・0110、03・5531・0133。相談はカウンセラーが無料で受け付ける。相談内容を医師が検討し、産経紙面やデジタル版に匿名で掲載されることがある。個人情報は厳守する。



