作家の末吉宏臣氏は、発信において「こんなの誰にでもできる」という感覚こそが才能であり、書いた言葉が他者に刺さる人と刺さらない人の決定的な違いは、弱さや偏愛を正直に書くことにあると指摘する。
弱さは上手さに勝つ
末吉氏は「整っていなかったからこそ、刺さったのです。弱さは、上手さに勝ちます。これは何度書いても変わらない、発信の真実です。不器用な言葉ほど、読者は『ああ、この人も自分と同じなんだ』と自分を重ねるのです」と述べる。
必要なのは、正直に書くこと。その弱さごと書いた言葉にこそ、誰かの心を動かす力があるという。
偏愛こそが「何者か」にしてくれる
「発信のテーマがない」と悩む人ほど、履歴書に書けるような素晴らしい経験を探そうとする。しかし、本当に探すべきなのは、他人には理解されにくい偏愛だと末吉氏は強調する。
その最強のコンパスとなるのが、無意識に使ってしまった時間とお金だ。まず時間について、頼まれてもいないのに調べてしまう、気づいたら何時間も見ている、誰にも評価されなくてもやってしまうこと。世間では努力が美徳とされるが、見つけたいのは没頭。他人から「よくやるね」と呆れられることでも、自分にとっては息をするように自然なこと。それは才能であり、愛すべき狂気ともいえる。
次にお金。家計簿は欲望のリストであり、「無駄遣いしてしまった」と後悔せず、その浪費の偏りこそが「好き」の形を作っているという。
偏愛だけが人を引き寄せる
末吉氏は、偏愛こそが人を引き寄せる力を持つと結論づけている。



