正倉院展の白瑠璃瓶、ガラス研究家・由水常雄さんが語る匠の技と利便性の工夫
正倉院展の白瑠璃瓶、由水常雄さんが語る匠の技

今年の正倉院展に出展される水差し「白瑠璃瓶(はくるりのへい)」は、遠く西アジアから日本へと運ばれた渡来品だ。アルカリ石灰ガラスでできた器は透明度が高く、やや緑がかっている。

白瑠璃瓶の歴史と由水常雄さんのレプリカ制作

林原美術館(岡山市)館長の谷一尚(たにいちたかし)(74)によると、ガラス容器は紀元前16世紀頃のメソポタミア周辺が起源とされる。紀元前1世紀頃、溶けたガラスに息を吹き込んで形作る「吹きガラス」の技法が登場し、量産が可能になった。白瑠璃瓶は7世紀以降に作られた「イスラムガラス」に分類される。日本ではガラスを器にする技術がまだなかった頃だ。

40年以上前になるだろうか。ガラス研究家の由水常雄(よしみずつねお)(90)(神奈川県鎌倉市)は、機会を捉えて何度も奈良に白瑠璃瓶を見に行った。ユーラシア大陸の日常にガラス容器が普及しつつある時代の制作技術を知るためだ。じっくり本物と向き合い、細部を観察した上で、同じサイズのレプリカを制作した。

「実物に近づけたい」といくつも作り、修正を重ねた。細部の作りが複雑で、近い時代の別のレプリカ制作と比べ、2倍の時間を要した。由水の手元にはいま六つのレプリカが残る。「ガラスを知り尽くした作り手の高度な技術が詰め込まれている」。そう感じた工夫がいくつもあるという。

白瑠璃瓶の構造と使い手への思いやり

まず、丸みやくびれが美しい胴部。上に向かって細くすることで、注ぎ口に流れ込む量を抑制できる。高さ27センチの水差しは重みがあるが、底で重心が保たれ、使った際に手元がふらつきにくい。取っ手は大きめで、やや傾いて付いている。由水はレプリカで何度も水を注ぎ、傾きがある方が握る手にフィットし、液体を真下に注ぎやすいのだろうと推論した。

さらに特筆すべきは、取っ手の上部にある直径1センチほどの突起だ。ここに親指を添えると自然に水差しが傾く。液漏れ防止のためか、注ぎ口の手前がきゅっと内側にすぼんでいる。「利便性を考え、技術者としての勘をたくさん働かせたのだろう。使い手への思いやりが伝わってくる」。由水は作者の意図に思いをはせる。

古代の意匠が現代のガラス作家に受け継がれる

古代の意匠は、現代作品にも受け継がれている。倉敷芸術科学大主任技術員でガラス作家の迫田岳臣(61)は、2世紀以降に作られた様々なガラス容器に着想を得て、使いやすく日常空間になじむ作品を送り出している。中でも透明な水差しは白瑠璃瓶などを参考に、大きめの取っ手を付けた。やや厚めのガラスで耐久性を高め、取っ手を太くして持ちやすくしたという。

正倉院宝物の再現模造の制作にも取り組んだ迫田は「古代ガラス容器には美しいと思わせる造形が備わっている。さらに工夫して現代の使い手に喜ばれる作品を手がけていきたい」と語る。

病の床で9月24日に取材に応じた由水は、レプリカの一つを記者に手渡した。記者が使ってみると、難なく水を注ぐことができた。「宝物を細部まで見て、作り手の思いを存分に感じてほしい」。由水はいとおしそうに自作の器を見つめた。

「民芸運動の父」柳宗悦が正倉院宝物を意識

日常的に使われる工芸品の機能性などに価値を見いだす「民芸運動」が日本で起こってから100年になる。運動は、装飾された美術品に注目が集まることへの「アンチテーゼ(反対意見)」で、その後の国民の価値観にも影響を与えた。

運動の父、柳宗悦(むねよし)(1889~1961年)の著作からは、柳が正倉院宝物を強く意識しながら運動を進めていたことがうかがえる。柳は、無名の職人が実用性にこだわり、無心になって手仕事で量産した日用品を「民芸」とし、正倉院宝物に対しては「民芸品はいたく少ない」と一線を引いた。一方で、一部の宝物については「少しも不誠実な性質がない」と、民芸品に通じる言葉で称賛した。

国学院大名誉教授の小池寿子(70)(美術史)は「日本人の心の根底には『匠(たくみ)の技は美しい』という考えがある。宝物に施された職人の技は、見る人の心の琴線に触れるだろう」と指摘する。(敬称略)