「こんなの誰にでもできる」――そう思えることこそが、実はその人の才能である。作家の末吉宏臣氏は、書いた言葉が他者に「刺さる人」と「刺さらない人」の違いは、人間らしさのある「生きた言葉」を紡げるかどうかにあると指摘する。読者が求めているのは、完璧に磨かれた言葉ではなく、ありのままの姿から生まれる言葉だという。
鎧を脱ぐ勇気が言葉を変える
末吉氏は「さあ、勇気を出して、その鎧を脱いでみませんか」と読者に呼びかける。ありのままの姿こそが、誰よりも人間らしく、魅力的であると説く。多くの人は、社会的な役割や周囲の期待に応えようとするあまり、本来の自分を隠してしまう。しかし、その鎧を脱いだときに初めて、言葉は真の力を発揮するという。
子どもの頃の「楽しい」が才能のヒント
大人になると、本当に好きなことが見えにくくなる。仕事や役割、周りの期待を背負ううちに、自分の好き嫌いがわからなくなるのだ。末吉氏は、もし自分の好き嫌いがわからなくなったら、子どもの頃の自分に会いに行くことを勧める。お金や評価とは無関係に、ただ「楽しいから」という理由で夢中になっていたあの頃の記憶こそが、発信や仕事のヒントになるという。
「小学生の頃、放課後や休日に時間を忘れて没頭していたことは何ですか?」と末吉氏は問いかける。誰に褒められなくてもやっていたその「遊び」こそが、その人が本来求めている好きなことだ。大人になった今の仕事や情報発信も、実はその延長線上にある。魂が喜ぶポイントは、「三つ子の魂百まで」と言われるように、決して変わらないのだ。
「What」より「Why」が才能を解き明かす
末吉氏は、重要なのは「サッカーが好きだった」という事実(What)ではなく、「なぜ、それが楽しかったのか?」という理由(Why)だと強調する。「ゴールを決めるのが好きだったのか」「作戦を練るのが好きだったのか」「みんなで協力するのが好きだったのか」。その理由の中に、その人の才能の正体が隠れている。
例えば、ゴールを決めることが好きだった人は、結果を出すことに喜びを感じるタイプかもしれない。作戦を練るのが好きだった人は、戦略を考えることが得意なのだろう。そして、みんなで協力することが好きだった人は、チームワークを重視する。このように、子どもの頃の「楽しい」の理由を掘り下げることで、大人になった今の仕事や発信に活かせる才能の核が見えてくる。
末吉氏は著書『言語化とnote発信の全技術』(ソーテック社)の中で、これらの考え方を詳しく解説している。今の生活に迷いがあるなら、子どもの頃のアルバムを開くように、記憶の引き出しを開けてみてほしい。小さかった自分が、「こっちだよ」と進むべき道を教えてくれるはずだと締めくくっている。



