原発事故15年、静岡から浪江への帰郷決意
東京電力福島第1原発事故から15年が経過した。この間、多くの被災者が避難生活を余儀なくされてきたが、静岡県富士市に避難していた堀川文夫さん(71)が故郷・浪江町への帰還を決意した。一方、妻の貴子さん(72)は静岡での生活を続ける選択をし、夫婦は別々の道を歩むことになった。
「死に場所は浪江かな」堀川文夫さんの決断
堀川文夫さんは、原発事故が発生した2011年から静岡県富士市に避難してきた。しかし、最近になって浪江町に帰る決心を固めた。現在、塾を経営している文夫さんは、中学2年と3年の生徒たちを送り出した後、塾を閉めて帰郷する予定だという。
「何人も友人が避難先で亡くなったことが大きいです。死に場所はどこか考えると、ここ(富士市)じゃないな。根っこがないし。やはり浪江かなと」と文夫さんは語る。避難先で友人を失った経験が、故郷への思いを強くしたという。
浪江町の自宅は解体されているため、復興住宅か親類の家を借りる計画だ。また、南相馬市小高区にある「おれたちの伝承館」でアートを通じて原発事故を伝える活動に携わるうちに、「第3の人生をかけるのはこういう活動だ」と感じるようになった。
「事故が何をもたらしたかを伝え、復興ありきの街ではなく、元の浪江の街を取り戻す活動をしていきたいです」と文夫さんは意気込む。
妻・貴子さんの選択「夫の人生は縛れない」
一方、妻の貴子さんは静岡県富士市での生活を続けることを選択した。2011年3月11日、夫の文夫さんが「こんな地震が来たんじゃ原発はもうだめだ」と言い出し、犬と猫を連れて浪江町から避難した際、内心では「また大げさな」と思っていたという。しかし、結果的に被ばくをほとんど免れたことは正解だったと振り返る。
全く知らない土地だった静岡での生活は心理的に大変だったが、15年が経過した今では友達ができ、かかりつけ医も見つかり、心穏やかに暮らしている。
夫が浪江に帰る決心をしたことについて、貴子さんは「70代でまた引っ越しをするのも、知らない街に変わった浪江に住むのもストレス」と語る。しかし、「夫の人生は縛れないから、別々に暮らすしかない」と決断した。
「乗り切る自信はないですけど。これも原発事故のせいです」と貴子さんは複雑な思いを口にした。
原発事故がもたらした夫婦の別れ道
文夫さんは福島に来る回数が増えるにつれ、目が輝くようになったという。故郷への思いが強まる一方で、貴子さんは新たな環境での生活を築いてきた。このように、原発事故から15年が経過した今も、被災者たちはそれぞれの選択を迫られている。
堀川夫妻のケースは、長期化する避難生活が家族の関係にも影響を与えていることを示している。帰還を望む者と新しい土地での生活を選ぶ者との間に生じる溝は、原発事故の複雑な影響の一端と言えるだろう。
浪江町は事故後、大きく様変わりした。かつての面影を残しつつも、「知らない街に変わった」と貴子さんが表現するように、復興の過程で新たな風景が生まれている。文夫さんが目指す「元の浪江の街を取り戻す活動」は、単なる復興ではなく、記憶と現実の狭間での挑戦となる。



