武蔵野市の吉祥寺は、大勢の若者が行き交い、デパートや飲食店、衣料品店、雑貨屋が立ち並ぶ繁華街だ。「住みたい街」の上位の常連で、おしゃれなイメージもある。しかし、なぜ23区の外側の多摩の一街区に若者が集まるようになったのか。
最先端の文化が若者を引きつける
若い世代を引きつけるのは、最先端の文化だ。いつ頃から吉祥寺は文化的な装いをまとい始めたのかを知るために、吉祥寺駅北口のジャズバー「ファンキー」を訪ねた。
元々は1960年に開店したジャズ喫茶で、運営した野口伊織さん(1942〜2001年)はこの街で多数の飲食店を営んできた。伊織さんが初めて吉祥寺に来たのは59年。妻の満理子さん(72)は「伊織さんの最初の印象は、『ごちゃごちゃして雑然とした街だ』でした」と振り返る。
伊織さんが営んだジャズ喫茶は私語厳禁で、大音量の演奏に耳を傾けるスタイル。レコードやオーディオが高価な時代、客が曲をリクエストできた。満理子さんによると、店に海外の新譜が入ると、吉祥寺にあった武蔵野美術大学に加え、成蹊、一橋など中央線や井の頭線沿線の学生が詰めかけたという。
カウンターカルチャーの拠点
「ファンキー」は若者のジャズ人気が下火になった78年、移転で洋菓子カフェに衣替えしたが、93年に復活。昨年、ジャズバーとして新装オープンした。満理子さんは、伊織さんがおしゃれで新しい感覚の店を多く出したことで、「次世代の若い人が吉祥寺に店を作るきっかけになった」との声をよく聞くという。
60年代後半からフォークソングが全国的にブームとなり、70年にライブハウスの草分けとして、「武蔵野火薬庫・ぐゎらん堂」が開店した。高田渡さん、シバさん、なぎら健壱さんら人気ミュージシャンが出演し、85年に閉店するまで全国の若者を引きつける拠点になった。
ベトナム戦争を背景に学生運動が盛んになった後、「古い体制に反抗する若者の文化=カウンターカルチャーが盛り上がった時代、新宿に代わる新たな居場所に吉祥寺が台頭した」。こう分析するのは、この店を開店し、昨年「あのころ、吉祥寺には『ぐゎらん堂』があった。」(平凡社)を出版した村瀬春樹さん(82)だ。
ドラマ「俺たちの旅」の影響
過去の若者文化の集積だけでは、現在の全国区の吉祥寺人気は説明できない。「ドラマ『俺たちの旅』の影響が大きかった」と語るのは、昭和レトロなレストラン「カヤシマ」の店主で、地元商店会会長も務めた佐藤孝一さん(73)だ。
このドラマは日本テレビで75〜76年に放送され、中村雅俊さん、秋野太作さん、田中健さんらが出演。舞台は吉祥寺だった。佐藤さんは「井の頭公園や吉祥寺サンロード商店街を背景に、大学生の生き生きとした青春群像が全国放映された。吉祥寺にあこがれて上京し、この街に来た人も多いと思う」と話す。
現在の吉祥寺はかつてと違い、若者が簡単に店を出せる街ではなくなった。古くから暮らす人からは、大型店やチェーン店が増え、個性的な個人店が減ったとの嘆きも聞かれる。でも、佐藤さんは「魅力的な店はまだまだ多い。ぜひ、ここに足を運んで、街を楽しんでほしい」と期待している。



