日立社長の「フィジカルAI元年」熱弁に社内は「叱咤激励だ」と受け止め
日立社長の「フィジカルAI元年」熱弁に社内は「叱咤激励だ」

9月3日、日立製作所の顧客向けイベントに登壇した同社の徳永俊昭氏(執行役社長兼CEO)は、2026年が「フィジカルAI元年」になると宣言した。同日には、フィジカルAIの社会実装を加速させ、顧客課題を解決するための新サービスを発表。聴講者に向けて「日本発の挑戦で未来を変えよう」「今すぐやろう、日立とともに」と力強く呼びかけた。

同講演を聴講した筆者の目には、同社の強みを社外にアピールする「熱いスピーチ」に映った。実際に、日立には「社会インフラ系の知見」が豊富にあり、そこに「AIに関する実用的な技術や製品」を掛け合わせることで「大きな将来像を描いて実現する力」がある。だから手を組もうと訴える論調展開は、納得感があるものだった。

社内は「叱咤激励だ」と受け止め

しかし、同社の社員は違う受け止め方をしたようだ。同日の記者会見に立った小島啓氏(HMAX戦略統括室長 全社CLBO事業主管 AI戦略担当)に、登壇氏の講演についてコメントを求めると、「『行くぞおおお!』という社内向けの掛け声にしか聞こえなくて」と笑いながら感想を語った。

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冗談めかして聞こえるが、その表現は真実だ。社外の人間よりも、社員の方が登壇氏の真意をくみ取っているのかもしれない。社外にも社内にも「刺さるトップメッセージ」を出すにはどうすればよいのか。小島氏の見解に、そのヒントを探る。

「ありたい姿」を強調した講演

登壇氏は、フィジカルAIによる「社会インフラの変革」「自社ビジネスの進化」について熱弁を振るった後、講演の終盤で「ありたい社会」「ありたい姿」といった言葉を何度も口にした。「フィジカルAIとは、日立が描く『ありたい社会』、すなわち環境、幸福、経済成長が調和する『ハーモナイズドソサエティー』の実現に向け、なくてはならないものだと考えています」(登壇氏)「私たちの目の前にある真っ白なキャンバスに、皆さまとともにありたい社会像を描き、その実現に取り組みましょう」(登壇氏)

こうした登壇氏の発言から、小島氏は次のようなメッセージを受け取ったと述べた。「『今すぐやろう』『ありたい姿』をあんなに強調したことが印象的でした。あれは、社外のお客さまや報道陣に対するメッセージでもありますが、私は社内に向けた叱咤(しった)激励だと思っていて。『最高益だったが、先人が積み重ねてきたから達成できたわけで、努力を怠ることは許さんぞ』という強烈なメッセージにしか聞こえませんでした」

日立製作所の2026年度第1四半期は、売上収益が2兆7095億円で過去最高だった。業績が好調なタイミングだからこそ、トップが語ったありたい姿に意味があるようだ。小島氏は、日立製作所のビジネス構造と登壇氏のメッセージを絡めて次のように理解している。

「(登壇氏の講演は)日立がどうやったら世の中に必要とされ続けるのかを表しています。われわれは『短期間でものすごい優位性を築く』という仕事の仕方ではありません。(鉄道やエネルギー領域の顧客と20年以上付き合っているなど)20年先を想定して『ありたい姿に向けてどうやっていきますか』という約束を結んでいます。そのために必要なものを追求しています」

小島氏は、日立製作所のビジネスは、顧客と一緒にありたい姿を目指して伴走を続け、寄り添うビジネスが特徴だと説明した。つまり、社員にとって登壇氏の講演は「遠い将来まで顧客と共に歩む」という覚悟を示したものだと受け止められるため、小島氏は講演を「笑っては聞けませんでした」と心境を明かした。

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AI戦略発表の3日前に「フィジカルAIで行くんだ」

登壇氏のメッセージにもあった「今すぐやろう、日立とともに」という標語がイベント会場内に掲げられていた。小島氏は、登壇氏の講演が「日本に対するメッセージでもあるでしょう」と話す。AIエージェントやフィジカルAIの社会実装が進む入り口にあるとして、日立製作所にとって「(登壇社長は)就任一挙のチャンスと見ているのでは」と述べる。

同社がフィジカルAIに注力すると発表したのは、2025年10月10日。同日に公表したAI戦略で、フィジカルAIを中核としてサービス展開を強化するとした。実は、その方針が決まったのは発表の3日前だったという。

「10月7日に(登壇社長に対して)『日立は機械学習も生成AIもAIエージェントもあります』と言ったら、それでは足りなくて。(議論の内容を)全部消されて『フィジカルAIで行くんだ!』と言われました」(小島氏)

その後、完成した10月10日のAI戦略説明会の資料に「日立は『世界トップのPhysical AIの使い手へ』」という文言を掲げた。カスタマーゼロ(ゼロ番目の顧客)の考え方で、フィジカルAIを支える技術を自社で活用して知見をため、それを顧客やパートナー企業に提供することで、顧客課題の解決や社会インフラの変革につなげる狙いだ。

「Lumada 3.0」と「HMAX」が中核

同社は、AIなどの技術や専門人材を駆使して顧客課題の解決を支援する事業モデル「Lumada 3.0」と、その中で展開するAIサービス群「HMAX」(エイチマックス)をデジタル事業の柱にしている。

2026年度第1四半期の決算では、Lumada事業の売上収益は1兆1440億円で前年同期比31%増、HMAX事業の売上収益は1110億円だった。7月29日にはLumadaとHMAXの通期売り上げ予想を上方修正して「日立グループ全体の業績上方修正をけん引」したとしている。

9月3日にはフィジカルAI関連の新サービス「HMAX Data Center」「HMAX AI Operations」「Physical AI FDEサービス」などのリリースにこぎ着けた。これらの成果が、登壇氏の「フィジカルAI元年」宣言に結実したといえるだろう。

経営者が社外に発信するビジョンや事業戦略は、場合によってはビジネス現場が「自分たちには関係ない」「抽象的な標語に過ぎない」と受け取りかねない。しかし、登壇氏の宣言は社内にも大きなインパクトを与えたことが、小島氏のコメントから見て取れた。長年培ってきた文化にひも付けながら「事業の核」を明確にしたことが功を奏したのだろう。顧客などの社外と、ビジネスを担う社員の双方に意図を伝えられるトップメッセージの好例といえそうだ。