日本のトイレは、世界でも類を見ないほど快適で先進的な空間へと進化してきた。東京大学非常勤講師の左巻健男氏は、著書『サイエンス日本史』(集英社新書)の中で、日本人がサイエンスとテクノロジーを駆使してトイレを発展させてきた歴史を詳述している。その背景には、江戸時代から続く屎尿の資源利用や、戦後の水洗化、そしてウォシュレットの進化がある。
江戸時代のトイレ:屎尿は金になる
戦国時代以降、城下町が発展し、江戸時代には武士や町人が職業別に居住するようになった。数十万の人口を擁する江戸や京・大坂(のち大阪)は、最大の下肥(しもごえ)生産地だった。下肥とは、人間の排泄物を肥料として利用したもので、農村へ供給される循環システムが確立していた。
戦国時代に日本を訪れたイエズス会宣教師ルイス・フロイスは、書簡で次のように記している。「我々は屎尿を運び去る人に金を払う。日本では、それを買い、その代償に米と金とを払う」。日本では、屎尿を民家から買い取り、農家に販売する仕組みがあったのだ。
下肥の品質には等級があり、「いつもご馳走を食べ、魚を食べている人のうんちは作物によく効く、これに反して粗食の人のものは効果が少ない」と考えられていた。江戸では、上中下の3段階で流通し、上級品は大名旗本や大店、中級品は一般武家や町屋、下級品は貧民の多い長屋のものとされた。
江戸の長屋では、大人20人が暮らす共同トイレの屎尿が年に一両から一両二分で売れた。これは、一人前の大工の月収約二両に相当する大きな収入だった。個人の家では、野菜などとの現物交換が多かったという。
化学肥料の登場とトイレの変貌
しかし、化学肥料の出現により、屎尿の価値は急落した。くみ取り式トイレでは、屎尿を買ってもらうどころか、処理費用を支払う必要が生じた。明治時代には洋式便器が伝来したが、都市部でも構造的にはくみ取り便所が主流で、しゃがみ込んで使う和風便器が使われ続けた。
第二次世界大戦後、腰掛けて使う洋式便器が普及し、1977年(昭和52年)には洋式便器の販売数が和式便器を上回った。この転換は、日本の住宅様式の変化や、水洗トイレの普及と連動していた。
ウォシュレット:実は日本生まれではない
現在、日本のトイレの代名詞とも言える「ウォシュレット」は、実は日本発祥ではない。TOTOが1980年に発売した温水洗浄便座「ウォシュレット」の起源は、1960年代に米国で開発された医療用の肛門洗浄装置にある。日本企業がこれを改良し、家庭用として世界最高品質の製品に仕上げた。
商品名「ウォシュレット」は、「レッツウォッシュ(洗おう)」の造語から生まれた。TOTOはその後、節水技術や除菌機能、暖房便座などを搭載し、日本のトイレを世界的なブランドに押し上げた。
トイレは「健康管理」の場へ進化
近年、トイレは排泄の場から健康管理の場へと進化している。便座に内蔵されたセンサーで尿や便の成分を分析し、健康状態をチェックする機能を備えた製品も登場している。左巻氏は、日本のトイレ技術が世界をリードし続ける理由として、日本人の清潔志向と技術革新へのこだわりを挙げている。
日本のトイレは、江戸時代の屎尿リサイクルから始まり、化学肥料による価値喪失、水洗化、そしてハイテク便座へと進化してきた。その歴史は、科学技術と社会の変化を如実に反映している。



