企業でAI活用が進まない背景には、「AIに対する誤解や思い込み」「現場の抵抗感」「AX人材の不足」という3つの壁がある。京セラコミュニケーションシステム(KCCS)の木下順氏は、サイボウズが開催したオンラインイベント「製造業 IT Special Seminar」で、こうした課題を解決する「現場主導型AX」について解説した。
AI導入を阻む3つの壁
木下氏は、製造業におけるPLM(製品ライフサイクル管理)やERP(統合基幹業務システム)の導入支援、AIを前提とした業務改革、kintoneを活用したシステム構築などに携わってきた。同氏は、AI導入を阻む壁として、まずAIに対する過度な期待を挙げる。AIを導入すればあらゆる業務を自動化できると考える企業もあるが、実際にはAIが利用できるデータの整備が欠かせない。
製造業では、紙の書類やExcel、部門ごとの業務システムなどにデータが分散しているケースも多い。こうした状態では、AIが必要な情報を適切に利用できず、期待した成果につながりにくい。
現場の抵抗感とAX人材不足
2つ目の壁は現場の抵抗感だ。従業員には、仕事をAIに奪われるのではないかという不安や、従来の業務の進め方を変えたくないという心理が働く。また、AIに常に正確な回答を求め、一度でも誤った結果が出ると「使えないツール」と判断してしまうこともある。
3つ目は、AI導入を推進する人材の不足だ。AI技術を理解するだけでなく、現場の業務課題を把握し、AIをどのように活用すべきかを判断できる人材が求められる。さらに、部門間の連携を促し、業務改革を実行するリーダーシップも必要になる。木下氏は、こうした役割を担う人材を「AX人材」と呼び、その不足がAI活用を妨げる大きな要因になっていると説明した。
DXからAXへ、AIを前提に業務を再設計
AXは「AI Transformation」の略で、AIを前提として業務・組織・役割を再設計し、業務改革を実現する取り組みを指す。木下氏は、デジタル技術を活用して既存業務の効率化を図るDXから、AIを前提として業務プロセスそのものを再構築するAXへの転換が重要だと説明する。
その背景にあるのが、生成AIからAIエージェントへの進化だ。従来の生成AIは、人からの質問に回答したり、文章を作成したりする用途が中心だった。一方、AIエージェントは、与えられた目的に応じて複数のシステムやツールを利用し、必要な処理を実行できる。製造業でも、間接業務の自動化や設計・調達・品質管理業務の支援など、さまざまな領域での活用が期待されている。ただし、AIエージェントを導入するだけでは業務改革は実現しない。
「仮想AX人材」で組織全体の機能を担う
AXを推進するうえで課題になるのが、人材の確保だ。現場業務を熟知し、AIやITの知識を備え、さらに組織を動かす実行力まで持つ人材は、容易には見つからない。木下氏は、こうした能力をすべて備えた人材を育成しようとするのではなく、複数の部門が役割を分担することで、組織全体としてAX人材の機能を果たす仕組みを提案している。
それが「仮想AX人材」だ。仮想AX人材は、「現場」「IT部門」「推進リーダー」の3者で構成される。現場は、日々の業務課題を把握し、AIを前提とした業務の再設計と改善を担当する。IT部門は、業務に適したAIツールの選定や導入、データを含めた利用基盤の構築を担う。推進リーダーは、教育環境の整備や活用事例の共有、成果の他部門への横展開などを担当する。重要なのは、IT部門だけにAI導入を任せないことだ。
3カ月で72の業務アプリを構築した事例
木下氏は、現場とIT部門の役割分担による業務改革の事例として、kintoneを活用したアプリケーション開発を紹介した。この事例では、企業の分社化に伴い、親会社で利用していた72の業務アプリが新会社では利用できなくなることが、分社化の3カ月前に判明した。新会社の業務開始までに、約1,000人が利用する72の業務アプリを再構築する必要があったが、システム部門だけでは対応するためのリソースが不足していた。
そこで、kintoneを利用して業務アプリを再構築するとともに、KCCSと新会社のシステム部門、現場社員が役割を分担する体制を構築した。KCCSは基幹システムの周辺業務に関わるものなど36のアプリを構築し、残る36のアプリは新会社のシステム部門や現場社員が作成した。その結果、3カ月という短期間で72の業務アプリを構築し、新会社の業務開始に間に合わせることができた。木下氏は、KCCS、業務部門、システム部門、サイボウズのサポートチームがそれぞれの役割を明確にしたことが、成功につながったと説明する。さらに、アプリ構築から10カ月後には、開発されたアプリが99に増加したという。
3万ファイルを51時間で処理したAI前提の業務改革
続いて木下氏が紹介したのは、AIを前提として業務プロセスを再設計した事例だ。この企業では、電子帳簿保存法に準拠した文書管理システムに、過去の紙文書のデータを登録する必要があった。従来の方法では、人が文書を分類し、OCRによる文字認識の結果を確認したうえで、インデックス情報を入力し、システムに登録するという作業が必要だった。
新しい業務フローでは、AIが文書の分類や文字認識、インデックス情報の入力などを担い、人が内容を確認してから登録する。この取り組みにより、約3万ファイルの処理を作業者1人、承認者1人の計2人で対応できたという。木下氏によると、従来の方法では少なくとも500時間、最大で1,000時間程度かかると見込まれていた作業を、延べ51時間で完了できた。
現場主導のDXにも落とし穴、運用負荷をどう抑えるか
一方、木下氏は、現場主導の業務改革が必ずしも順調に進むわけではないことも指摘した。その例として紹介したのが、先ほどの72の業務アプリを構築した企業で発生した運用上の問題だ。同社では、現場の要望に対応するため、多くのアプリにプラグインやJavaScriptによるカスタマイズを加えていた。構築した72アプリのうち、63%でカスタマイズが行われていたという。
導入当初は問題なく稼働していたものの、運用開始後にはプラグインの競合調査やアップデート、プログラムの修正などが必要になった。その結果、メンテナンス業務が情報システム部門に集中し、KCCSによるサポートを半年間延長することになった。木下氏は、便利なDXツールであっても、使い方によってはIT部門の負荷を増大させると指摘した。特に、システムの性能や運用に影響するような拡張・改修は慎重に判断し、できるだけ標準機能を活用することが重要だという。
また、システムを現場に定着させるための手段として、DAP(デジタルアダプションプラットフォーム)の活用も提案した。DAPは、導入したシステムの操作方法を利用者に案内するなど、業務システムの習熟や定着を支援する仕組みだ。SaaSの標準機能を生かしながらDAPを組み合わせることで、現場の使いやすさを高め、情報システム部門のサポート負荷を抑えることが期待できる。
木下氏の講演で一貫していたのは、AIを導入すること自体を目的にしてはいけないという考え方だ。AI活用を成功させるには、業務課題を整理し、必要なデータを整備したうえで、AIを前提に業務プロセスを見直す必要がある。また、AIやITに詳しい特定の人材だけに依存するのではなく、現場、IT部門、推進リーダーが役割を分担し、組織全体で業務改革を進めることが重要になる。