関脇小錦八十吉(当時)は、1987年夏場所で大関昇進を果たした。この場所は、前の3場所で10勝、10勝、11勝とすべて2桁勝利を挙げており、成績次第で悲願達成の可能性があった。
当時、大関には北勝海関(現・八角理事長)、大乃国関(現・芝田山親方)、朝潮関、若嶋津関、北天佑関の5人がいたが、小錦関は「大関に上がりたいと気持ちだけは誰にも負けない」との思いで土俵に上がった。
師匠への思いと順調な稽古
場所前の稽古は順調で、高砂部屋には横綱千代の富士関や、この場所で綱取りを懸けていた北勝海関も出稽古に来ていた。まわしを取っての四つ相撲にも自信がついてきたという。
この場所は師匠の高砂親方(元横綱朝潮)が体調を崩して入院していたため、親方のためにもとの思いもあった。
終盤の巻き返しで昇進を決める
序盤戦を無傷で終えたが、中盤戦に入ると大乃国関、北勝海関、益荒雄関に敗れ、3敗を喫した。これ以上は負けられない状況だったが、終盤戦で巻き返した。双羽黒関、千代の富士関と横綱2人に勝って勢いをつけ、昇進目安の12勝をクリア。ついに大関昇進が決まった。
鏡山審判部長(元横綱柏戸)は「文句ない。勝負に対する姿勢がいい」と褒めたという。



