鹿児島市の市立鹿児島商業高校の相撲道場で7月7日、選手たちが四股やすり足などの稽古に励んでいた。監督の指示が飛ぶ中、激しいぶつかり稽古を続けていたのは、柔道部主将の梶原敦彦選手(3年)だ。彼は窮地に陥った相撲部を救うため、柔道と相撲の「二刀流」に挑戦している。
県総体で相撲初優勝、全国へ
梶原選手の相撲初の公式戦は、5月30日の鹿児島県総体だった。個人戦80キロ級に出場し、5人と総当たりで対戦。直前の28、29日には柔道の県総体個人・団体戦に出場し、いずれも3位で全国総体出場を逃していた。その悔しさをバネに土俵に上がった梶原選手は、身長1メートル68と小柄ながら、柔道仕込みの投げ技と相撲の稽古で鍛えた下半身の強さを武器に、小手投げや押し出しで勝利。全国総体での上位進出が期待されていた相手選手全員に勝ち、優勝を果たした。会場は大いに沸き、梶原選手は「勝てるとは思わなかった」と驚き交じりに喜んだ。
相撲部の危機と前監督の遺志
同校の相撲部は全国総体に20回以上出場し、大相撲の元幕内・大奄美らを輩出した強豪だった。前監督の禧久昭広さん(日本大学相撲部出身、アマチュア横綱2度)が約25年間指導してきたが、県内の子どもの相撲人口減少や、特待生制度のある他校への流出で部員は減少。2024年度には1人となり、2025年3月に最後の1人が卒業して部員ゼロとなった。禧久さんは2025年春に他校へ転任後、がんが見つかり、2026年1月に57歳で急逝。教え子の和田信広監督(48)が後任となったが、部員は集まらなかった。
二刀流の決断と柔道部への波及効果
今年4月末、和田監督は柔道部員に二刀流を打診。柔道部の中山暢宏監督(49)は「足腰が鍛えられる」と、四股やすり足を柔道に取り入れ、部員が相撲道場で鍛錬を始めた。両監督は、禧久さんの「部を復活させたい」という最後の思いに応えたかった。梶原選手ら3年生の柔道部員は、1年生の時に禧久さんが最後の部員をマンツーマン指導する姿を見て、「人数が少なく大変そうだった。禧久先生や相撲部の力になりたい」と、4人が県総体に臨んだ。
相撲の稽古は柔道部にも思わぬ効果をもたらした。宮里海選手(3年)は下半身が強化され、相手に投げられにくくなり、柔道の県総体個人戦100キロ超級で初優勝。柔道部で唯一、全国総体出場を決めた。
インターハイへ、二人の挑戦
全国総体の相撲は7月31日、柔道は8月6日に和歌山市で開幕。梶原選手は「一つでも多く勝ちたい」、宮里選手は「相撲で鍛えた力を全国で発揮したい」と語り、ともに上位進出を目指す。



