北中米ワールドカップで、日本代表はグループFを2位で突破したものの、ラウンド32でブラジルに敗れ、ベスト32に終わった。一方、韓国代表は突破有力視されながらグループAで3位となり、他グループの3位チームとの比較で上位8チームに入れず、グループリーグ敗退が決まった。
ほぼ同じタイミングでの帰国となった両国だが、ファンやメディアの対応は極めて対照的だった。日本代表は複数便に分かれて帰国。羽田に降り立った森保一監督は、代表ユニホームやW杯レプリカトロフィーを持ったサポーターに「お疲れさま!」と声をかけられた。成田に降り立った代表一行も、ロビーのビジョンが「感動をありがとう!」と迎え、サポーターは代表の応援歌を熱唱。ねぎらいの言葉が飛び交った。監督や選手の表情は固かったが、受け入れる空気は温かく柔らかだった。
韓国代表への激しいバッシング
対照的に、韓国代表はグループリーグ敗退が決まった時点で猛烈なバッシングが始まった。洪明甫監督はメキシコ・グアダラハラのチーム拠点で辞意を表明。韓国・仁川国際空港に降り立った代表チームは、太鼓を叩きながら「洪明甫は出ていけ」などの怒声や罵声を浴びせるサポーターに迎えられた。洪監督らは険しい表情のまま、立ち止まることなくバスに乗り込んだ。
監督会見の対照的な姿勢
監督の記者会見も対照的だった。日本代表の森保一監督は「本当に残念な結果で終わってしまった」としつつも、「ワールドカップで5回優勝している世界トップレベルの相手であるブラジル代表と真剣勝負ができたことで、日本サッカーの歴史が積み上げてきたものが、世界との戦いの中でも十分に渡り合っていけるという手応えをたくさん感じた。この成長を続けていけば、世界一になれる日は必ず来ると感じることができた」と前向きに締めくくった。
同席した日本サッカー協会の宮本恒靖会長もファンの応援に感謝の言葉を述べ、「勝ち切れなかったのも事実。その意味では、基本となる育成や強化、人材の発掘などに取り組んでいかなければいけない」と今後を見据えたコメントをした。
これに対し、洪明甫監督は「韓国サッカーを愛してくださり、いつも代表チームを応援してくださった国民の皆様に、心からお詫び申し上げます。本日、私は韓国サッカー代表チームの監督職を退くことといたしました」などと手元のメモを読み上げるにとどまった。洪前監督は帰国から2日後の7月2日、米ロサンゼルスへ出国したと韓国メディアが報じた。監督だけでなく、7月6日には鄭夢奎大韓サッカー協会会長も辞任を表明した。
昭和・平成の日本も敗者に寛容ではなかった
しかし、日本が常に敗者に寛容だったわけではない。昭和・平成の時代、日本スポーツ界では敗者へのバッシングが日常的に行われていた。例えば、1964年東京五輪の女子バレーボール「東洋の魔女」の活躍や、1998年長野五輪でのスキージャンプ団体金メダルなど、勝利が称賛される一方、敗退した選手や監督は厳しい批判にさらされた。Jリーグ創設前の日本サッカーでは、ワールドカップ出場が遠い夢だった時代、代表チームが敗れるとメディアやファンから激しい非難が浴びせられた。
転機となったのは1993年のJリーグ開幕である。Jリーグは「地域密着」と「サポーター文化」を掲げ、ファンを「サポーター」へと転換させた。サポーターは勝敗に関わらずチームを応援する姿勢を重視し、敗戦後も選手を励ます文化が根付いた。この流れが日本代表にも波及し、現在のような温かい受け入れにつながったと考えられる。
韓国「レッドデビルズ」の熱量と日本スポーツの連続性
一方、韓国では2002年日韓共催W杯で生まれた「レッドデビルズ」に代表される熱狂的な応援文化が根強い。しかし、その熱量は勝利至上主義と結びつきやすく、敗者への容赦ない批判を生む土壌となっている。韓国メディアやファンは、敗戦の原因を監督や選手個人に帰する傾向が強く、今回の洪監督へのバッシングもその典型例と言える。
日本スポーツの「連続性」も対照的だ。日本では、監督や選手が敗退後も長期的な視点で評価される傾向がある。森保監督は2018年から日本代表を率い、2022年カタールW杯でのベスト16進出など実績を積み、今回の敗退後も続投が期待されている。一方、韓国では敗戦後の監督交代が頻繁に行われ、短期的な結果が重視される風潮がある。
今回のW杯敗退で浮き彫りになった両国の差は、サッカー文化の深い部分に根ざしている。日本が培ってきた「敗者への寛容さ」は、長期的な成長を促す一方、韓国の「厳しさ」は短期的な成果を引き出す原動力ともなる。どちらが正しいかではなく、それぞれの社会の価値観が反映された結果と言えるだろう。



