アジアパラ成功の鍵はボランティア、元日本代表・南浩一さんが語る交流秘話
アジアパラ成功の鍵はボランティア、元日本代表・南浩一さんが語る交流秘話

パラリンピックに5大会連続で出場し、バルセロナ大会で金メダルを獲得した南浩一さん(70)は、2026年に愛知・名古屋で開催されるアジア・アジアパラ大会の成功の鍵は、ボランティアの「人間味あるふれ合い」にあると語る。南さんは第1回アジア大会(中国・広州)での経験から、ボランティアとの交流が大会の雰囲気を大きく変えると実感しているという。

墜落事故からアーチェリーへ

南さんがハンググライダーを始めたのは20歳のころ。飛行機が好きで、当初はラジコンを楽しんでいたが、「自分も飛びたい」と挑戦した。風に乗り、うまくいくと2時間ほど空を舞い続けることもあった。

しかし24歳の時、墜落して首の骨を折る大けがを負い、「即死でもおかしくなかった」という状態だったが、命は取り留めた。神経が切れた手足は動かず、車いす生活となり、夢も希望もないと諦めていた。

入院していた国立療養所村山病院(現・国立病院機構村山医療センター)に患者用のアーチェリー場があり、患者が的を狙う姿を見て練習を見に行くことが日課に。もともと個人競技が好きだったこともあり、「自分でもやってみたい」と思うようになった。

5大会連続出場、バルセロナで金

そこから南さんの快進撃が始まった。毎日のように国立障害者リハビリテーションセンターで練習を重ね、自分に合う道具を求めて何台も弓を変えたという。32歳の時、1988年ソウル・パラリンピックから5大会連続出場を果たし、92年バルセロナでは金メダルを獲得した。

道具は独自に工夫を重ね、指の筋力に頼らず矢を放てる装置を製作。コーチ不在で競技も独学だったが、周囲の選手を見ながら夢中で練習した。

広州大会でのボランティアとの交流

南さんが最も印象に残っているのは、2010年の第1回広州大会だという。「ボランティアの支援がよかった。これまでのどの大会より最高によかった」と振り返る。選手村の受付では常に誰かが「行ってらっしゃい」「お帰りなさい」と笑顔で声をかけてくれた。

出発前は「反日運動がある中国で大丈夫だろうか」という不安があったが、ボランティアの笑顔は「政府から派遣された作り物の笑顔だろう」と思っていたのとは全く違った。規定の時間以外にも声をかけ、気遣ってくれるボランティアたちと次第に打ち解け、記念品を交換し合うようになり、心が和んだ経験が心に刺さっていったという。

名古屋大会への期待

南さんは「人間は何かに夢中になって生きるのが基本」と話し、今はラジコン飛行機に夢中だ。アーチェリーからは引退したが、アジアパラ大会にはかつてのライバルや競技友達が多く出場するという。

愛知・名古屋大会については「ボランティアに頑張って欲しい」という言葉が一番に出る。彼らが頑張れば、雰囲気が変わるという。会場運営者はうまく事が運ぶことに神経を使っているが、南さんはボランティアの人間味あるふれ合いが大会そのものを変えていく経験をしたからだ。