健大高崎は創部24年で初めて、夏の甲子園大会決勝の舞台に立つ。青柳博文監督(54)の指導の特徴は、多くのスタッフでチームを回す「分業制」だ。24年春の選抜大会では、チームを初優勝に導いた。
就任当初の苦悩
その土台となったのは、監督に就任した当初のできごとだった。2002年4月、知人の紹介で健大高崎の野球部を率いることになった。それまでは会社員だったが、もともと指導者になりたいと思っていた。選手を乗せるために、バスの運転免許も取っていた。当時は29歳。「俺が甲子園に連れて行く」と気合十分だった。
健大高崎は前年に女子校から共学になったばかりで、部員は15人ほどしかいなかった。道具もそろっていない。学校のお金で道具をそろえるには時間がかかるため、自分の親からお金を借りて、バットとボールをそろえた。
丸刈り提案で5人が退部
いよいよ練習開始。一体感を高めようと、丸刈りにしようと提案した。すると、5人がやめた。残りの部員も練習に来たり、来なかったり。「週の半分は休みにして」と直談判されたこともあった。
「あのころは、よく家で泣いていたんです」と青柳監督は振り返る。今でも覚えていることが二つあるというが、詳細は記事の続きで語られている。



