2001年3月14日、松山市の坊っちゃんスタジアムで巨人対日本ハムのオープン戦が開催された。開場2年目の球場に、永久欠番の背番号「3」を背負う長嶋茂雄監督が訪れた。前年には日本シリーズで王貞治監督率いるダイエー(現ソフトバンク)とのON対決を制し、日本一に輝いたばかり。強い巨人と長嶋フィーバーは頂点に達していた。
球場全体が歓声に包まれる
読売新聞の報道によれば、長嶋監督がベンチから姿を見せるたびに球場全体が大きな拍手と歓声に包まれた。午前11時の開場前から家族連れらの列ができ、スタジアムには約2万9000人のファンが詰めかけ、オレンジ色のメガホンを叩いた。
長嶋監督の振る舞いがスタッフの心に残る
グラウンドキーパーの上松伸次さん(当時48歳)は、長嶋監督の振る舞いが強く印象に残ったと語る。試合前に長嶋監督が三塁側グラウンドを走っていた時、上松さんらの近くで足を止め、「グラウンドを使わせてもらいます。本日はよろしくお願いします」と声をかけたという。上松さんは「大スターなのに帽子を取って深々とおじぎをしてくれた。ちょっとびっくりした」と振り返った。選手にとってグラウンドは大切な場所であり、長嶋監督は球場を整える人たちへのリスペクトを常に忘れなかった。
「坊っちゃん坊っちゃん坊っちゃんね」で球場を称賛
始球式に登場した中村知事(当時・松山市長)は、長嶋監督の様子を昨日のように覚えている。「グラウンドに立つなり、『坊っちゃん、坊っちゃん、坊っちゃんね』と明るい表情で球場を評価していただいた。その言葉はスタジアムの存在感を高め、その後のオールスターゲーム開催への大きな後押しとなった」とコメントした。当時の映像では、長嶋監督は「きれいですね。近い将来、市民のみなさんはここでオールスターを見られるんじゃないですかね」と話している。その言葉通り、スタジアムでは2002年、四国で初めてオールスター戦が開催された。
長嶋監督の勇退と追悼展
長嶋監督は2001年、連覇を逃し勇退。すでに65歳で、髪はすっかり白くなっていた。選手として17年、監督として15年。日本中に夢と勇気、感動を与え続けた「ミスタープロ野球」は、栄光のユニホームを永遠に脱ぐことになった。なお、「長嶋茂雄追悼展 ミスタージャイアンツ 不滅の背番号『3』」(読売新聞社など主催)が7月22日から8月3日まで、松山市のいよてつ高島屋で開催される。入場料は一般1200円(前売り1000円)、高校大学生1000円(同800円)、中学生以下無料。



