東京大学の休学者がこの10年間で1.6倍に増加している。背景には、名門校の生徒に顕著な「達成文化」の弊害がある。一般財団法人ドラゴン桜財団代表理事の西岡壱誠氏は、『東大うつ』などの事例を通じて、過度な成果主義が子どもの心を静かに蝕む実態を指摘する。
名門校生のメンタルヘルスリスクは一般の2~6倍
教育社会学者のジェニファー・ウォレス氏は著書『Never Enough』で、名門校の生徒は不安障害、うつ病、薬物乱用のリスクが一般の子どもに比べて2~6倍に上ると報告している。ウォレス氏は「子ども自身が悪いわけでも、親が悪いわけでもなく、社会全体が『いくらやっても足りない』というメッセージを発し続けている」と指摘する。テストの点数が上がれば「次は順位を上げよう」、順位が上がれば「次はもっと上の学校を狙おう」、学校に入れば「次は学内で1番を取ろう」――こうした終わりのないアップグレード要求が、子どもの心を静かに削っていく。
東大生Mさんのケース:「1番」のレースが永遠に続く
西岡氏が紹介する東大生Mさんは、中学・高校で常にトップだったが、東大入学後、初めて「1番ではない自分」と向き合うことになった。Mさんを最も追い詰めたのは、「1番を取れなかった」という事実そのものよりも、「いつまで頑張ればいいのかがわからなくなった」という時間的な迷子状態だった。これまでMさんにとって「頑張る期間」には常に終わりがあったが、東大に入ってからの「頑張り」には明確な終着駅がない。学内試験で1番を取れば終わりなのか、卒業すれば終わりなのか、就職して年収が上がれば終わりなのか――どこをゴールに設定しても、その先にまた次のレースが待っている。
処方箋としての「マタリング」
ウォレス氏は、この状態への処方箋として「mattering(マタリング)」という概念を提示する。マタリングとは、「自分は他者にとって意味のある存在だと感じられること」であり、成果の量ではなく、存在そのものが価値あるものとして認められる感覚が、達成文化の有害な側面を中和する鍵になるという。逆に言えば、Mさんのように「1番という成果を出している自分」だけが愛されると感じてきた人ほど、成果が出せなくなった瞬間に存在価値そのものが揺らぐ。
休学者増加の背景と社会全体の課題
東大の休学者数は10年前と比較して1.6倍に増加。Mさん自身はいまもトンネルの中で立ち止まっているが、この問題はMさん一人の問題でも東大だけの問題でもない。達成文化の中で育ってきたすべての元・優等生に共通する問いであり、社会全体が「いくらやっても足りない」というメッセージを発し続ける限り、同様のケースは増え続ける可能性がある。



