帰国子女の伊藤さんは、中学時代に「先生から面倒くさがられていた」と振り返る。東大法学部卒の麻雀プロ・新倉和花氏が、彼の半生を追った。
神童だったあの子の今
キャリア・教育の分野で注目される「神童だったあの子の今」シリーズ。今回は、早稲田大学を卒業し大手銀行に就職したものの適応障害を経験した伊藤さんの転機を紹介する。
帰国後の小学校生活
伊藤さんは帰国後、公立小学校に通いながら常にクラスで1~2位の成績を維持した。学校の試験を「点取りのゲーム」と捉え、100点を取れば母がご褒美を買ってくれる環境が彼を動かした。しかし、彼の頭の良さはテストの点数だけでは測れなかった。彼はひたすらデータを集めることに多大なリソースを注ぎ込む子だった。
「オタク気質な性格でした。野球名鑑を読んで、打率や防御率など数字を分析するのが楽しかったんです。あとはポケモンをはじめとするゲームの攻略本を読むこと。データを見るのがすごく好きだったんですよ」と伊藤さんは語る。
興味の偏りと「ハマり癖」
興味のある分野を深く掘り下げるのが得意で、日本史の得意単元は学校の先生よりも詳しかったという。一方で興味が湧かない科目は、机に向かっていても頭に入らなかった。本人は後年、この性質を「ハマり癖」と呼んでいる。
「好きなことにとことん夢中になった結果として『ハマり癖』みたいなものができてしまい、知識や興味にアンバランスさが生まれてしまったなと感じています」
中学時代:「ひろゆきみたいな子」
中学進学のタイミングで、父がトヨタ本社近くに家を建てたため、家族は豊田市に引っ越した。新しい公立中学校での3年間、彼は穏やかには過ごせなかった。
「自分以外の多くは小学校から一緒、なんなら先生たちも同じコミュニティ出身という狭い世界。しんどかったですね」
成績は中1で学年20番以内、中2からは10番以内だったが、トップ5には入れなかった。それ以上に問題だったのは、教師たちから疎まれていたことだ。
「先生たちから面倒くさがられていました。『ひろゆきみたいな人』だと思われていて、よく『将来どういう人になるのか、一番気になる人』と言われていました」
物事を斜めから見て、常識を疑う癖。アメリカの教室で身に付けた感性は、田舎の閉じた中学校では明らかに浮いていた。彼は早々に、「この街を出よう」と決めた。
受験システムへの違和感
次ページでは、彼が受験システムに強い違和感を抱くエピソードが続く。早稲田大学進学後、大手銀行への就職、そして適応障害に至るまでが描かれる。



