「ひろゆきみたいな子」と言われた神童の転落と再生:早稲田卒オタクの軌跡
「ひろゆきみたいな子」と言われた神童の転落と再生

キャリア・教育 #神童だったあの子の今 「ひろゆきみたいな子」といわれた中学生→大手銀行に就職し適応障害に… "ハマり癖"が裏目に出た早稲田卒学オタクの転換

帰国子女の伊藤さん。中学のときは「先生から面倒くさがられていた」といいます。(写真:伊藤さん提供)

地元では「名古屋大学や名古屋工業大学に入り、名古屋の一流企業に行くのがエリートコース」とされていました。けれど伊藤少年は、その路線に乗る気はまったくありませんでした。第1志望にしたのは三河地方トップの岡崎高校。ですが、彼の内申点は45点満点中35点しかありませんでした。

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「入試で満点を取ってもまだ落ちる可能性があったので、受ける意味がなかったんです」

実力ではなく内申点で進路が決まる――その不条理さに、彼は初めて「受験システム」というものに強い違和感を抱きました。先生からは2番手の公立を勧められました。ですが少年は首を縦に振りませんでした。

「だったら、自分の力で私立の進学校を受けようと思いました」

結局、彼は愛知県内の私立難関高校(偏差値65ほど)に進学します。後年、日本中の高校受験制度を分析し、内申点や地域格差を批判的に語る「じゅそうけん」の原点は、ここにありました。

Twitterの向こうにいた‟ホンモノの秀才たち”

高校2年生のとき、伊藤さんはTwitterを始めます。これが、彼の人生を書き換えました。

地方の進学校に通う彼の知る「秀才」は、地元の同級生だけでした。ですがタイムラインの向こう側には、想像を超える世界が広がっていました。

「東大模試でA判定や、全国順位1桁の点数の模試結果をSNSに載せて『微妙やったわ〜』と言う、灘生や開成生を見てしまったんです。衝撃でしたね」

休日は7〜8時間勉強していましたが、勉強の合間にTwitterを眺めるのが、いつしか何より楽しい時間になりました。同時並行で、彼は2ちゃんねるの「大学受験サロン板」にものめり込みます。

打率と防御率を集めていた彼が、次に集め始めたデータが、日本中の高校と大学の偏差値でした。野球名鑑のときと、構造は何ひとつ変わっていません。

そんな中で迎えた自身の受験。第1志望は一橋大学でした。

地元の同級生が名古屋大を目指すなか、彼は東京の大学にこだわり「とにかく東京に行きたい」という軸だけは譲りませんでした。ですが現役では届かず、河合塾で1浪。それでも一橋・慶應経済・早稲田法はすべて不合格となり、唯一受かった早稲田大学社会科学部に進学します。

「合格した中で一番都心にキャンパスがあって偏差値が高いのが、早稲田の社会科学部だった。当時の僕はもう、それしか見ていなかった」

【人生で最も鬱屈とした大学時代】

大学入学後、伊藤さんは周囲とのギャップに苦しみます。周りは東大や一橋を目指していた同レベルの学生ばかり。自分だけが「滑り止め」の早稲田に来たという劣等感に苛まれました。

「授業も面白くなくて、サークルにも入らず、ただデータ収集に没頭する日々。大学時代は人生で最も鬱屈した時期でした」

そんな中、彼は再び受験データの収集にのめり込みます。今度は大学の偏差値だけでなく、就職先や年収データも加え、独自の分析を始めました。この頃から、後の「じゅそうけん」の原型が形作られていきます。

卒業後、伊藤さんは大手銀行に就職します。しかし、そこでも適応障害に陥ります。徹底的にデータを分析し、効率を追求する彼のスタイルは、銀行の保守的な風土と相容れませんでした。

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「『ハマり癖』が裏目に出たんです。一つのことに没頭しすぎて、周りが見えなくなる。それが仕事では致命的でした」

休職を経て、彼は銀行を退職。その後、受験情報サイト「じゅそうけん」を立ち上げ、自身の経験を活かした受験分析で注目を集めています。

「今振り返ると、神童と言われた頃も、銀行で苦しんだ頃も、すべて今の自分につながっている。データにハマる性質は変わらないけれど、それを活かせる場所を見つけたことが転機でした」